寺が動く (2024年9月新刊)
――この世もあの世も救う、ときがわ正法寺和尚の禅智学
語り手:児玉隆元閑栖和尚:児玉敦彦住職
著者・本文写真撮影:西田みどり
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■書店販売書籍:なし
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■POD書籍: \1,430 (税込/A5判140頁 ISBN978-4-910056-67-8)
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◎本書について
山の麓の寺でありながら、いまも人々のために活動している和尚の話しを伝える書いモーツァルトの名曲を解説した書
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・ | 日本の各地に点在する無数の寺院、かつては歴史を動かす中心ともなり、日本文化の深層に定着した仏教を発布してきた寺は、人々の生活や社会環境が急変している現在、どんな役割を果たしているのか? いま生きている仏教を伝える僧侶はいるのか? 本書は、それを探して埼玉県ときがわ町の臨済宗の寺、正法寺(しょうぼうじ)の僧侶に直撃取材をし、聞き取りまとめたもの。語り手は、91歳にして元気矍鑠(かくしゃく)の閑栖(かんせい)和尚と現住職。死や魂の行方、先祖供養やお墓の意義など、誰もが心の奥底で気になっている事柄をわかりやすく語ってくれた。寺は、墓地や葬式だけではなく、いま生きている私たちの人生を助けるために、仏の教えに従って、生き生きと動き回っている和尚が、過疎の山の麓に、いま確実に存在している。その和尚の話しを伝える書である。 |
◇語り手プロフィール
児玉隆元閑栖和尚(こだまりゅうげん かんせいおしょう)
正法寺第三十五代住職。現在は引退して閑栖和尚となり、寺の仕事と並行して小学校での朗読会などの地域活動に励んでいる。正法寺には大学卒業後、婿養子として入った。寺の経済的事情で僧侶と埼玉県の高校での事務長という二足の草鞋を履きつつも、正法寺を地域の人々が気軽に集まれる寺に育て上げた。
児玉敦彦住職(こだまとんげんじゅうしょく)
正法寺第三十六代住職。臨済宗の修行道場・臨済寺(静岡県)で五年半の修行をしたのち正法寺に戻った禅僧である。一方で、保護司として青少年と関わり続けている。その体験から「人間に本当の悪人はいない」と語り、死刑制度に反対を表明している。「生きて反省し続けることこそ修行だから」、「人は変わる。そこに希望がある」が持論である。
◇著者プロフィール
西田みどり(にしだみどり)
編集者・著述業。文学博士。2006年、「まことと救世主――久米邦武の比較文化論」で中外日報社・涙骨賞受賞。芝浦工業大学、学習院大学、大正大学等の講師を経て現職。著書に『〈型〉で書く文章論』、『論理的文章作法』、『[異界見聞録6]平田篤胤著「勝五郎再生記聞」現代語超編訳版』、『[当事者研究]新しい自己発見の方法――熊谷晋一郎東大准教授による高校での当事者研究』(編集著)、『アマミオオシマ――セレンディピティを楽しむこと:巡礼と鎮魂』、『神様と遊ぼう!!――新宿歌舞伎町を守護する稲荷鬼王神社』(以上、知玄舎)、『サイババ超体験』、『抱きしめる聖者アマチの奇蹟』(以上、徳間書店)、『異次元体験アストラルトリップ』(学研)、『激動の予兆シャーマン探訪記』(ヒカルランド)など多数。
●目次
プロローグ 三年ぶりのお祭りが開催された
◎――むらさきつつじ祭りと花祭り
◎――迎えてくれるのは「六地蔵菩薩」
◎――役員の協力で成り立つ祭り
第一章 大般若経祈祷でコロナの不浄を一掃する
◎――大般若経祈祷の奉納
◎――「番匠一座・夢ちんどん」と春風亭昇乃進師匠による落語で大笑い
第二章 正法寺の歴史
◎――ときがわ町西平都幾山は鎌倉時代に禅が栄えた仏教エリア
◎――正法寺を開山したのは栄西の孫弟子・良空宗徹禅師
◎――名僧・栄朝を慕って都幾山に禅僧が集まった
◎――禅の修行に茶礼を取り入れて集中力を高めた
◎――日本の仏教史での大きな二つの変化
第三章 児玉隆元閑栖和尚の仏教観
◎――児玉隆元閑栖和尚は話術の達人
◎――健康の秘訣は呼吸法
◎――寺の子として生まれたが、僧侶になりたくなかった
◎――生きる道を模索した青春時代。父のひと言で僧侶になることを決意
◎――正法寺との出会いは「いきなりのお見合い」
◎――追いかけてきた新妻
◎――平林寺で禅修行――托鉢行と公案
◎――入り婿として正法寺の僧侶となる
第四章 閑栖和尚との一問一答「魂・あの世・葬儀の意味」
◎――知りたいのは「魂のゆくえ」
◎――葬儀は心を整理するためのひとつの方法
◎――「あの世」はあるか
◎――「この世でなしたことはすべて自分に返ってくる」
◎――私たちが存在しているのは御先祖がいるからこそ
◎――お墓という手を合わせる場所があることが大事
◎――巡礼は死の悲しみを癒やす力がある
◎――日本人の心の深層にある「あの世観」
第五章 児玉敦彦住職が語る「お寺の危機と可能性」
◎――児玉敦彦住職は「時の流れに風化しない仏教の核」を追求
◎――寺には祭りが必要だ
◎――江戸時代の住職は結婚しなかった
◎――僧侶が住職として生活できないと寺は消えていく
◎――寺の「宗教法人」を欲しがる会社
◎――山が荒れて鹿やイノシシが里に出てくる
第六章 児玉敦彦住職が語る「人間に本当の悪人はいない」保護司の活動から見える希望
◎――保護司とは犯罪者の社会復帰をサポートする仕事
◎――ヤンチャな子は苦労している分、真っ当な大人になる
◎――大切なのは「聞く力」
◎――薬物依存症は難しい
第七章 児玉敦彦住職が語る「魂の話」
◎――遺体がそこにあるとき、魂はどこにあるのか
◎――お墓の意味は家族親族の絆
◎――「おかげさま」の法事は必要か
◎――御葬儀のときの「喝!!」という叫び
◎――「死」を隠す時代の弊害
第八章 児玉敦彦住職が語る「坐禅で本来の自分と出会う―お釈迦様の瞑想、臨済宗の坐禅、そして現代のマインドフルネス」
◎――坐禅は「自分を見つめ直すことで本来の自分と出会う」方法
◎――坐禅中に叩くのは「激励」の表現
あとがき
あとがき
ときがわ町の正法寺に初めてお参りさせていただいたのは一年ほど前のことです。
正法寺とご縁のある知人の案内で、数人のグループでお参りしました。
その後、庭先で、隆元閑栖和尚を囲んで一時間ほど立ち話。次々に繰り出される尽きせぬ話題とユーモアに引き込まれました。
正法寺の本を作ることが決まったとき、当初の計画では観光案内のようなガイドブックをイメージしていました。ところが、実際にインタビューさせていただくと、深いものがどんどん出てくる。そのおもしろさに魅了され、インタビューをそのまま本にしようと方向転換しました。そうしてできたのが本書です。
長寿社会に入り、葬儀のあり方が変化しつつあったことと連動して、お寺も変わり始めています。葬儀といえばお寺というこれまでの常識が覆っているのです。
逆に言えば、お寺の役割とは何かという根源的な問いを突き付けられている時代だということもできます。
そして、その答えは、本書のインタビューのなかですでに語られています。また、仏教界の動向を紹介する『月刊住職』にも、寺の様々な新しい奮闘がレポートされています。
いずれの試みにも共通しているのは、寺との付き合いを日常生活の中に組み込むという流れです。特別なイベントとして寺の行事があるのではなく、親しいご近所さんのような存在として寺がある。何かのときに相談に行ける場として寺がある。何もなくても茶のみ話をする場として寺がある。そんな新しい関係が築かれつつあるような気がします。それは実は本来の仏教の役割に近づいているのかもしれません。
本書執筆に際しては、たいへん多くの方のお世話になりました。
お忙しいなか、長時間にわたるインタビューに時間をお取りくださり、笑顔を絶やさず対応してくださった隆元閑栖和尚と敦彦住職にまずお礼申し上げます。また、お訪ねするたびにお茶や、コーヒー、ケーキなど心づくしのご配慮をしてくださった寺庭様。そして、本書出版を快くお引き受けくださった知玄舎の小堀英一社長にも、この場を借りて厚くお礼申し上げます。なお、本書内容の責任は、それがたとえどなたかの発言として書かれていたとしても、すべて西田に帰することをお断りしておきます。
二〇二四年八月吉日
西田 みどり