Zenする夢記7「再生ニホンジンを物語る」

   ――オテントサマの神話第37~42巻(改訂・総合版)  (2017年4月新刊)

   永淵 閑 著
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  ■電子書籍: \800 (消費税別)
   2018年4月20日初版発行 →アマゾンでの購入はこちら

  ■POD書籍: \1,500 (消費税別)/(A5判176頁 ISBN978-4-907875-68-8)
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 ◎本書について
 オテントサマに告げられたフシギな大人のメルヘン第37~42巻改訂・総合版。

 
夜明けの夢が、秘密の扉を開き、深層無意識への旅に誘い、夢はオテントサマに物語られた「ニホンジンの近未来神話」を明らかに。半覚醒のまま、無意識の自動筆記法が記す「ソレ」とは何か? 本書は、電子書籍『オテントサマの神話』第37巻から第42巻を(種本として)時間をゆっくりかけて統一・整理しなおし、推敲を重ねた総合版。内容の改訂に加え縦組みへの変更などレイアウトも一新。すでに同様に、1~6巻を一書にまとめた『Zenする 夢記1「近未来ニホンジン再誕生奇聞」』をはじめ、7~12巻『同夢記2』、13~18巻『同夢記3』、19~24巻『同夢記4』、25~30巻『同夢記5』、31~36巻『同夢記6』が電子書籍およびPOD書籍として既刊、絶賛発売中!


◎著者紹介
永淵 閑(ながふち かん)
東京生まれ。オーストラリアのシドニー在住。文筆業。同時に、大学でのライティング授業、ハイスクールでの国際バカロレア授業、それに帰国子女受験生の小論文個人指導ほか、日本語ライティング指導を少人数受けている。
著書:『インドを這う』(立風書房)、『サハラを這う』(立風書房)、『イベリア夢街道』(山手書房新社)、『セミリタイアのすすめ』(文香社)、『「哲学する!」練習帳』(文香社)。以下、知玄舎より発行。『国際バカロレアと点才教育(改題・新訂版)』、『シドニー人間紀行――6人6話の光と影』、『タスマニア「般若心経」思索紀行』、『Zen悟り考 「シドニー無常風」、「インナー紀行」、「悟りと悟る」』、『オテントサマの神話』(シリーズ本)、『シドニー無分別庵便り』(シリーズ本)がある。専門は、鈴木大拙の禅哲学の「悟りとはなんぞや」を基盤に、そこから発展させたフィクション、ノンフィクションの執筆。


●目次

 編集室より
 はじめに
 第37巻 
 331 墓に乳やる女人
 332 動詞と名詞だけの文章
 333 近未来フォトカード
 334 現代のパンドラの小箱
 335 鳥籠のなかに鳥はいない
 336 黙示録2150
 337 タン・ハンカチ・サムライ妻
 第38巻 
 338 溺れるイヌは叩く
 339 生きながら死人となりてなりはてて
 340 心の数寄たる人
 341 ネコセカイのネコテレビ
 342 ケンジの国の学校・出版社
 343 飛び児をそだてる母
 344 大拙というニホンジン 2
 第39巻 
 345 しっかり生きて、しっかり死ぬ
 346 AIと黙示録
 347 どこの国が得をするのか?
 348 コギトネコは洗脳されない
 349 「橋」は考えている
 350 オンナは災いか?
 351 ニホンジンの生き方・死に方
 第40巻
 352 再び、どこの国が得をするのか?
 353 再び『橋』の主題について考える
 354 ネコに明日はない
 355 現在を強権支配するものは過去も
 356 クローン人間vsAIロボット戦争
 357 女好きゼウスと嫉妬女ヘーラー
 358 ニホンジンとすみれ草
 第41巻
 359 無心の徒
 360 オロチに呑まれる
 361 「私」のある文章・「私」のある人生
 362 カマイタチの尾をつかむ
 363 夢の花巻紀行
 364 右手右足歩行
 365 日本国憲法後文とニホンジン
 第42巻
 366 インドの茶屋のおばあさん
 367 ある学会報告・ヒツジはヒツジ
 368 空と別れることだけが辛い
 369 AI進化と『楢山節考』
 370 月下美人が歌い、踊り、笑う
 371 独裁者と13人のクローン影武者
 372 大拙と『日本の弓術』
 あとがき――37巻と41巻の入れ替え


 編集室より
  
 『Zenする夢記』は7冊目まで進んでいますが、この間の著者の夢の内容をみてきますと、その変化が如実に現れていることに気がつきます。これは著者のZen的心境の変化なのでしょう。あるいは、そのときに読んでいる本の影響も強いのでしょう。著者の夢の舞台は、時空を超えているときもありますが、そのときの世相、つまり表層がカタチとして現れてもいるようです。しかしながら、いずれにしろ、その夢の骨髄といえるものは、そのときの著者のタマシイの在りようを示しています。
  
 ひとは誰でも心のなかにジブンのモノガタリをもち、ジブンのモノガタリを生きている、と著者は何回でも言います。そう考えると、この夢記は、著者のモノガタリそのものでしょう。そのモノガタリで著者は、言葉にできないコトバのセカイを文字にしているのでしょう。そこに、ES、つまりソレが現れてくるのでしょう。言い換えると、「机をみた」ではなく、「机ソノモノをみた」のセカイでしょう。このセカイを表記するのは本来文字では不可能なのでしょう。しかし、著者は鈴木大拙に導かれて、それへの挑戦をつづけています。
  
 著者は若いときから鈴木大拙を読み込んできたようです。再生する機会を得てから、大拙本を左手に、放浪旅を右手にもち、何回も、大きな覚醒、小さな覚醒、を経験してきたと、著者はしずかに話します。そう考えると、この夢記は、再生のモノガタリ、といえます。覚醒はふつうの言葉では表現できません。それは、詩や音楽や芝居にしたときに、はじめて表現することが可能になるのでしょう。著者はソレを、夢の記録をモノガタリ化する、という方法で行なっているのでしょう。
  
 著者はあるとき、若いときの世界貧乏旅のことを話してくれました。それは、お金がないため、移動するときは土地の格安長距離バスを使っていたというのです。たとえば、サハラ沙漠を数百キロほど走りつづけるバスに乗ったときの話です。長距離バスは夜明けに出て夕方に目的地につくのが普通ですが、それは予定であって、たいてい着くのは目的地の町が寝静まった時刻になるようです。それから安宿探しです。ここに、あやしい人たちが闇の中から現れてガイドする、と言って近寄ってきます。また著者は、バスは2人の運転手が交代で走りつづけ、1泊2日で到着するイスタンブール発ロンドン行、にも乗ったことがあるようです。
  
 著者は言います。覚醒を得てから、そのガイドと言って近寄ってくる男たちのなかで、一番危険の匂いのすくない男を選ぶことができるようになった、と。これが、貧乏旅を長く続けるコツである、と。これが、旅先で行方不明になるかどうかの分かれ道である、と。覚醒を得ると、その人物の真贋を見極めるようになる、と言います。著者が冗談で話す現代の政治家評も、数年後にはほとんど当たっています。著者が指摘する口先だけの詐欺師的、政治家や高級官僚やメディア幹部や教育経営者などは、その実態が数年後には暴露されています。
  
 今回、この『Zenする夢記 7』の原稿を読みながら、そのような著者のつぶやきを再び思い出していました。多くのニホンジンの覚醒した眼は、日本が世界の魁(さきがけ)として存在しつづけていくうえで大切でしょう。それがここでは、夜明けの夢として記されています。夢のモノガタリを楽しんでいただくと同時に、眼を覚醒したセカイへも向けていただけると、さらに本書を読む楽しみは倍加するのではないでしょうか。そこに再生日本の在り方がみえてくるのではないでしょうか。
 (編集子)