Zenする夢記5「深層ニホンジンを物語る」

   ――オテントサマの神話第25~30巻(改訂・総合版)  (2017年1月新刊)

   永淵 閑 著
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  ■電子書籍: \800 (消費税別)
   2018年1月19日初版発行 →アマゾンでの購入はこちら

  ■POD書籍: \1,500 (消費税別)/(A5判カラー166頁 ISBN978-4-907875-63-3)
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 ◎本書について
 オテントサマに告げられたフシギな大人のメルヘン第25~30巻改訂・総合版。

 
夜明けの夢が、秘密の扉を開き、深層無意識への旅に誘い、夢はオテントサマに物語られた「ニホンジンの近未来神話」を明らかに。半覚醒のまま、無意識の自動筆記法が記す「ソレ」とは何か? 本書は、電子書籍『オテントサマの神話』第25巻から第30巻を(種本として)時間をゆっくりかけて統一・整理しなおし、推敲を重ねた総合版。内容の改訂に加え縦組みへの変更などレイアウトも一新。すでに同様に、1~6巻を一書にまとめた『Zenする 夢記1「近未来ニホンジン再誕生奇聞」』をはじめ、7~12巻『同夢記2』、13~18巻『同夢記3』、19~24巻『同夢記4』が電子書籍およびPOD書籍として既刊、絶賛発売中!ホンジン異聞」』オテントサマの神話13~18巻改訂・総合版、発売中。

◎著者紹介
永淵 閑(ながふち かん)
東京生まれ。オーストラリアのシドニー在住。文筆業。同時に、大学でのライティング授業、ハイスクールでの国際バカロレア授業、それに帰国子女受験生の小論文個人指導ほか、日本語ライティング指導を少人数受けている。
著書:『インドを這う』(立風書房)、『サハラを這う』(立風書房)、『イベリア夢街道』(山手書房新社)、『セミリタイアのすすめ』(文香社)、『「哲学する!」練習帳』(文香社)。以下、知玄舎より発行。『国際バカロレアと点才教育(改題・新訂版)』、『シドニー人間紀行――6人6話の光と影』、『タスマニア「般若心経」思索紀行』、『Zen悟り考 「シドニー無常風」、「インナー紀行」、「悟りと悟る」』、『オテントサマの神話』(シリーズ本)、『シドニー無分別庵便り』(シリーズ本)がある。専門は、鈴木大拙の禅哲学の「悟りとはなんぞや」を基盤に、そこから発展させたフィクション、ノンフィクションの執筆。


●目次

 第25巻 
 1章 モヘンジョ
 2章 妖精リンリ
 3章 現実派・夢想派
 4章 菜の花の万感
 5章 ネコは黙ってろ!
 6章 顔が悪い
 7章 モノガタル女人
 8章 グレートブラフの神
 9章 恥知らずのバツ
 10章 妻にテンショー
 第26巻 
 1章 AIネズミ
 2章 大巨人の木馬
 3章 〇×メガネ
 4章 大麻草と近慾
 5章 牛をひくネコ
 6章 ニホンゴ大学設立
 7章 家庭教師ドレイ
 8章 タタリの神
 9章 娘殺しのバツ
 10章 サイの生まれ変わり
 第27巻 
 1章 花のEs
 2章 老母タキ
 3章 なぞなぞお化け
 4章 フシギの花園
 5章 イロ戦争
 6章 タコだな!議会
 7章 素数と観音様の化身
 第28巻 
 1章 何やらゆかし
 2章 雨あがる
 3章 サハラの水泳教員
 4章 箱庭マンダラ
 5章 性善説の市
 6章 夜這いとババ
 7章 寿命は天にあり
 第29巻 
 1章 ドロボーとせんべい布団
 2章 小銭とお雇い外国人
 3章 税徴収人と息子
 4章 ゲニウス・ロキ
 5章 男は50歳抹殺
 6章 中国のある百科事典
 7章 ババと二人の息子
 第30巻 
 1章 チンピラ3兄弟
 2章 78歳からの挑戦
 3章 中国の自殺するネコ
 4章 砂時計
 5章 洞のドアを開けて異界へ
 6章 夢想論国家とケンポー
 7章 セーケー国の美男・美女
 あとがき――深層ニホンジンを物語る


 あとがき――深層ニホンジンを物語る
  
 本書の26巻と27巻の間に、半年ほどの未記録期間があります。その間も夜明けの夢は見ており、そのメモはしていたのですが、何かがひっかかり、出版に結びつけることはしませんでした。その半年ほどの間に、わたしのなかで大きく変容するものがありました。それは母の死と、借家の引っ越しと、それに、わたしが36歳のときに考えた人生72歳説の終了でした。
  
 それは、「説」というほどおおげさなものではないのですが、36歳のときにそれまで勤めていたところを辞め、以後、フリーで生きることにしました。そのときに、このまま人生を続けていいのだろうか、と考えたのです。そして、インドやアフリカへの放浪旅をはじめました。そして決めました。36歳を折り返し点と考え、72歳を終着点とし、それは長く生きても72歳が最長であるという意味で、以後の人生を、12年周期を3回、その12年を割って3年周期を4回、というように人生を区切って生きていこう、とひそかに考えました。
  
 その72歳という終了時が、本シリーズ26巻終了時と重なったわけです。わたしは長く生きてもギリギリ72歳だろうと考えた年齢を、超えしまいました。つまり、予定外の年齢になってしまったのです。そして、半年ほど、ただ本を読みながら、73歳以降の生き方を厳密に考えようと思ったのです。わたしはのんびりした性格をしていますが、それでもただ一点だけはつねに譲らないルールをジブンのなかにつくり、生きてきました。それは、「しっかり生きて、しっかり死ぬ」という規範です。もっとも、ルーズなわたしですから、わたしなりに、という条件つきですが。
  
 そして、73歳になった半年後から、27巻の夢記を再開しました。そのため、27巻からは夢記の内容が変わり始めています。それは、表層の世界と深層のセカイの両方を意識しながら、徐々に、より多くの時間を無意識深層セカイへ重点が移動したことです。それは、ゆるやかに、その後もつづいています。そうして、ここに30巻までの夢の記録をまとめたものを出版する機会を得ました。今後も、わたしの内部の変容の記録を、生きている限り記しつづけていこうとおもっています。
  
 本書は、近未来ニホンジンへの、私からの拙いメッセージでもあります。オテントサマのコトバをこのようなカタチでのこし、伝える機会をもちえたわたしは、幸せ者だとおもっています。わたしの人生で、いまほど解放され、かつ充実した時間はありません。こういう年齢があることを若いときは想像もできませんでした。修羅のセカイ、曼荼羅のセカイ、自省のセカイを経て、得たセカイなのでしょう。花々の笑っているのをみることができるようになり、小鳥やウサギと眼で会話ができるような心境になり、ネコの国へ遊びに行けるようになりました。ありがたいことです。感謝、感謝の気持ちでいっぱいです。