F. カフカの〈隠された意志〉を旅する[作文・論文 副読本Ⅲ]

  (2019年8月新刊) 

F. カフカの〈隠された意志〉を旅する[作文・論文 副読本Ⅲ]  永淵 閑 Kan S. Nagafuchi 著

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 ◎本書について
作文・論文執筆に際して参考となる国際バカロレア(IB)教員が自らカフカを論じた文章作法の実例。

  本書は、作文・論文執筆に際して参考となる国際バカロレア(IB)教員が自ら『変身』『失踪者』などで知られるチェコ出身作家、フランツ・カフカを論じた意欲作。教員としての果たすべき約束事を見つめつつ、IBとして国際バカロレア(IB)のテキストとして取り上げた作家とその作品を訪ねての《作文・論文紀行》を、前著と同様に試みている本書は、IB生はもちろん、作文・論文に悩む小・中・高・大・院生、受験生、帰国子女生、海外留学生、国語教員・他教科教員・日本語教員・IB教員、本好きな方、本を出版したい方への恰好の参考書。作文教育の是非を問う、欧米でも通じる論文執筆の方法がわかる。一冊で三冊分の内容(論文執筆編、哲学する閑話編、参考資料編)を収録。

著者紹介
永淵 閑(ながふち かん)
オーストラリアのシドニー在住。東京生まれ、東京学芸大学卒業。主たる仕事はモノカキ。シドニーの大学でライティングを主にした日本語学科元教員。現在、IB授業をシドニーのハイスクールで受け持ち、さらに、IB生のための「IB External Online Class」と、ライティングを勉強したい方の「K式小論文ライティングクラス」を、スカイプを使ったオンラインで開設している。著書:『インドを這う』(立風書房)、『サハラを這う』(立風書房)、『イベリア夢街道』(山手書房新社)、『セミリタイアのすすめ』(文香社)、『「哲学する!」練習帳』(文香社)。以下、知玄舎より発行。『国際バカロレアと点才教育(改題・新訂版)』、『シドニー人間紀行――6人6話の光と影』、『タスマニア「般若心経」思索紀行』、『Zen悟り考 「シドニー無常風」、「インナー紀行」、「悟りと悟る」』、『オテントサマの神話』(シリーズ本)、『シドニー無分別庵便り』(シリーズ本)がある。専門は、鈴木大拙の禅哲学の「悟りとはなんぞや」を基盤に、そこから発展させたフィクション、ノンフィクションの執筆。


◎――――――目次

まえがき――生きるとは物語ること
《第一部》執筆編
1章 フランツ・カフカFrantz Kafkaへの旅――1万字エッセイ(=試論・小論文)を書く
A:読解――ユダヤ人・ユダヤ教とは
B:閑話――カルタゴ人の滅亡とユダヤ人の存続
2章 『掟の門Vor dem Gesetz』
A:読解――タイトルが主題
B:閑話――楽園追放
3章 『変身Die Verwandlum』への旅
A:読解――背景と意志
序論
本論
「Ⅰ」 著者フランツ・カフカの背景を旅する
1:ユダヤ人とは――「旧約聖書」を元にユダヤ人の成り立ちの歴史を考える
2:ユダヤ人の苦難の歴史1:「楽園追放」と短編小説『掟の門』
3:ユダヤ人の苦難の歴史2:「兄弟殺し」と短編小説『判決』
4:ユダヤ人の苦難の歴史3:「ノアの方舟」と短編小説『雑種』
5:ユダヤ人の苦難の歴史4:「バベルの塔」と「ソドムとゴモラ」
6:ユダヤ人の苦難の歴史5:アダム・エヴァからイエスまでのマトメ
7:ユダヤ人の苦難の歴史6:「ディアスポラ」と短編小説『流刑地にて』
「Ⅱ」『変身』のエッセイを書く
1:宮澤賢治著『注文の多い料理店』(角川文庫)より『どんぐりと山猫』
2:芥川龍之介著『蜘蛛の糸・地獄変』(角川文庫)より『蜘蛛の糸』
3:ヘミングウェイ著・大久保康雄訳『ヘミングウェイ短編集(一)』(新潮文庫)より『インディアン部落』
4:金田鬼一訳『完訳グリム童話集2』(岩波文庫)より『トゥルーデおばさん』
5:池内紀編訳『カフカ短編集』(岩波文庫より)『判決』
B:閑話――鳥籠が鳥を探しに行った
4章 『橋Die Brücke』への旅
A:読解――主題と意志
序論
本論
B:閑話――ふたたび作文論
付記:「作文・論文副読本Ⅰ・Ⅱ・Ⅲ」を書き終えておもうこと――読者への筆者からの伝言
「巻末編」――省略
《第二部》参考資料編
Ⅰ:著者による上記関連図書――「まえがき」と「もくじ」のみを掲載(出版順)
1:『国際バカロレアと点才教育』
「少し長くて大切な前書き」
「目次」
2:『IB国際バカロレア 満点獲得教員の授業メモ』
はじめに――編集室より
「もくじ」
3:『日本語ライティング Ⅰ』
「編集室より」
「まえがき」――人生を一編の詩にする
「もくじ」
4:『IB高校生が書いた本 私が11年生・12年生時に書いたエッセイ・コメンタリーを公開します』
「編集室より」――IB生にとって、これ以上の参考書はありません
「まえがき」――永淵閑(IB日本語担当教員、および本書の監修・解説)
「もくじ」
5:『作文・論文 副読本Ⅰ 宮澤賢治の《哲学する童話》を旅する』
「編集室より」
付記
「もくじ」
6:物語る! 21世紀黙示録Ⅰ――終末セカイを旅する
「編集室より」
「まえがき」
(お断り)
「もくじ」
7:『作文・論文 副読本Ⅱ E.ヘミングウェイの《哀しき短篇》を旅する』
「まえがき」
「もくじ」
Ⅱ 閑塾
A:作文・論文・エッセイクラス
B:IB生クラス
C:IB教員養成クラス
D:出版クラス
Ⅲ:著者とその著書
1:著者
2:永淵閑著書
あとがき
あとがき その2
謝辞
謝辞2
献辞


まえがき
 
まえがき――生きるとは物語ること
 
生きるとは物語ることである、物語ることは生きることである、と筆者は考えている。世界中に住んでいるすべての老若男女は、つねに自分の物語を、無意識に、日々物語っているのだろう。お父さんは、夜、家に帰ると職場での出来事を物語る。お母さんは、昼間の出来事を物語る。子どもは学校での先生や級友について物語る。良し悪しは別として、これが家庭の普通の姿だろう。一般的に考えると、物語るには、口頭で物語る方法と文字を使って物語る方法がある。ほかには、文学・絵画・音楽などの芸術作品で物語るという方法もある。筆者は口下手なので文字を使って物語る、つまり本を書くことを30代から志してきた。そして気がついたのだが、当たり前かもしれないが、世界には自分の考えを物語るために本を書いているすばらしい先人がたくさんいた、そして、いるのである。
 
今回、「作文・論文 副読本シリーズ」で、筆者(=わたし)が多大な影響をうけてきた著者(=作家)と、その人生の結晶である作品への旅を重ねてきて、つくづくおもったことがある。このシリーズは、筆者にとって本当に勉強になる、と。これまでは、かれら先人のすばらしい小説を読んで、あるいはエッセイを読んで、その主題の深さと表現の明晰さに衝撃を受けてきただけであった。しかし今回、フランツ・カフカの作品を読解しようとしはじめたら、凡骨の筆者の無知さを思い知らされた。著者とその作品の背景をあまりに知らな過ぎて読んでいたのである。その背景、およびカフカの隠された意志、への旅を本書ですこしだけ始めてみて、その作品の奥深さをつくづく感じた。その探求の途中報告を本書ですこしでも記していきたいとおもう。そして、それが筆者が担当しているIB(国際バカロレア)教育の授業にも役立つことになり、「哲学する」生き方にもつながるものと確信するからである。
 
同時に、作文教育しか受けていない日本の方々に、稚拙ながらも筆者がシドニーの大学での授業でつくりあげたライティング方法、それを整理し、大幅に加筆し、IB生用にまとめあげたエッセイ(試論・小論文)・コメンタリー(書評・論文)執筆法、つまり、基本的な論文の書き方の初歩をお伝えしたいと考えた。筆者はさらに検討を加え、どこのだれでも、文章が、論文が、書ける本をめざした。本シリーズはそのような意図を元にして、作文・論文・エッセイ・コメンタリーの見本原稿となることを志した。1章と2章と3章はエッセイの見本原稿となることを心がけた。4章は筆者なりのコメンタリーの見本原稿となることを心がけた。もっとも、あまりに硬い論文調だけだと読者の方が飽きてしまうので、関連知識を旅する「閑話」も組み入れた。
 
なお、ライティング(作文・論文・エッセイ・コメンタリー)関連の拙著は、基礎編から応用編まで、下記のものがあるので関心のある方はご覧いただきたいとおもう。下記の4冊の本および副読本シリーズ3冊(1冊は本書)を読んでいただけたら、どなたでも作文・論文・エッセイ・コメンタリー執筆の基礎知識は獲得できるものとおもう。それだけでは不足と考えられたら、閑塾(資料編参照)の門を叩けば、作文・論文・エッセイ・コメンタリーの書き方を学んでいない同級生とは格段の差がつくことは間違いないはずである。日本ではいまだ従来の作文教育しか行なわれていないだろう。それでは論理的な文章は書けない。そのため、筆者は自ら書くことを通じて、苦労して作文・論文・エッセイ・コメンタリー執筆法をつくりあげた。それを学べば、どなたでも書くことへの苦手意識は解消するものとおもわれる。
 
筆者はあの日本の作文教育のせいで、30代半ばまでは文章を書くことが苦手中の苦手だった。現在は、筆者にとっては、書くことが、話す、聴く、読む、書くの言語の4機能のなかで一番易しくなっている。30代半ばまでの筆者を知っている方は、現在の筆者、印刷本は25冊ほど、電子書籍を加えると100冊を越える著書をもつ筆者を信じられないだろう、とおもう。その筆者が、基礎を学べばどなたでも文章は容易に書ける執筆法を考え、それを本にしてきた。それは、書くことに悩んでおられる方へ、筆者の心からのプレゼントである。本を出版したいと考えておられる方には、そのキッカケとなるとおもう。
(以下略)

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