E.ヘミングウェイの〈哀しき短編〉を旅する[作文・論文 副読本Ⅱ]

  (2019年4月新刊) 

  永淵 閑 Kan S. Nagafuchi 著

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  ■電子書籍: \1,300 (消費税別)
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  ■POD書籍: \1,500 (消費税別)/(A5判212頁 ISBN978-4-907875-93-0)
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 ◎本書について
 作文・論文執筆に際して参考となる国際バカロレア(IB)教員が自らヘミングウェイを論じた文章作法の実例。

  本書は、作文・論文執筆に際して参考となる国際バカロレア(IB)教員が自ら『老人と海』で有名なヘミングウェイを論じた意欲作。教員としての果たすべき約束事を見つめつつ、IB教員として国際バカロレア(IB)のテキストとして取り上げた作家とその作品を訪ねての《作文・論文紀行》を、前著と同様に試みている本書は、IB生はもちろん、作文・論文に悩む小・中・高・大・院生、受験生、帰国子女生、海外留学生、国語教員・他教科教員・日本語教員・IB教員、本好きな方、本を出版したい方への恰好の参考書。作文教育の是非を問う、欧米でも通じる論文執筆の方法がわかる。一冊で三冊分の内容(論文執筆編、哲学する閑話編、参考資料編)を収録。

著者紹介
永淵 閑(ながふち かん)
オーストラリアのシドニー在住。東京生まれ、東京学芸大学卒業。主たる仕事はモノカキ。シドニーの大学でライティングを主にした日本語学科元教員。現在、IB授業をシドニーのハイスクールで受け持ち、さらに、IB生のための「IB External Online Class」と、ライティングを勉強したい方の「K式小論文ライティングクラス」を、スカイプを使ったオンラインで開設している。著書:『インドを這う』(立風書房)、『サハラを這う』(立風書房)、『イベリア夢街道』(山手書房新社)、『セミリタイアのすすめ』(文香社)、『「哲学する!」練習帳』(文香社)。以下、知玄舎より発行。『国際バカロレアと点才教育(改題・新訂版)』、『シドニー人間紀行――6人6話の光と影』、『タスマニア「般若心経」思索紀行』、『Zen悟り考 「シドニー無常風」、「インナー紀行」、「悟りと悟る」』、『オテントサマの神話』(シリーズ本)、『シドニー無分別庵便り』(シリーズ本)がある。専門は、鈴木大拙の禅哲学の「悟りとはなんぞや」を基盤に、そこから発展させたフィクション、ノンフィクションの執筆。


◎――――――目次

まえがき
《第一部》執筆編 E・ヘミングウェイの「哀しき短編」を旅する
 1章『フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯』  
 作文・論文1――ストーリーにそって分析していく
(一)ライオン狩り後の昼食時の場面と主人公マコーマーの妻の性格描写
(二)ライオン狩り前夜から当日午前中のライオン狩り
(三)マコーマー夫妻の危機
(四)バッファロー狩りでの狩猟への目覚めと主人公マコーマーの死
 2章 『インディアン部落』
 作文・論文2――主題にそって分析していく
 3章 『医師とその妻』
 作文・論文3――タイトルにそって分析していく
 4章 『拳闘家』
 作文・論文4――登場人物にそって分析していく
 5章 『殺し屋』
 作文・論文5――文学的テクニックにそって分析していく
 6章 『老人と海』の作文を書く(5326字)
 7章 『キリマンジャロの雪』のコメンタリーを書く(40892字)
 ――筆者のコメンタリー(書評・解説)の公開
――最初に筆者からのお断り
序論
本論
1:著者作品の分類
2:著者の略歴
3:『キリマンジャロの雪The Snow of Kilimanjaro』の大要(summary サマリー)
4:ヘミングウェイの人生の主題と『キリマンジャロの雪』の主題
5:『キリマンジャロの雪』の主要登場人物の役割
6:『キリマンジャロの雪』のタイトル・冒頭部分・結末部分と主題の関係
7:『キリマンジャロの雪』における効果的な文学的テクニック
8:結論としての筆者の個人的知見
《第二部》哲学する閑話編
 1:頭のよい人は二種類いる――秀才・点才
 2:日本人とは、ニホンジンとは、何ぞや
 3:信心と「リンゴの神」
 4:わたしは多重人格者
 5:文体の濃淡・人間の濃淡
 6:作文教育よサヨ―ナラ
A:作文教育の問題点
B:論文とは
C: 論文執筆のための参考図書
 7:しっかり生きてしっかり死ぬ――ヘミングウェイと至道無難
《第三部》参考資料編
 A:著者による上記関連図書
 1:『国際バカロレアと点才教育』
 2:『IB国際バカロレア 満点獲得教員の授業メモ』
 3:『日本語ライティング Ⅰ』
 4:『IB高校生が書いた本 私が11年生・12年生時に書いたエッセイ・コメンタリーを公開します』(著者はIB生、永淵閑:担当教員・監修・解説)
 5:『作文・論文 副読本Ⅰ 宮澤賢治の《哲学する童話》を旅する』
 B:閑塾
 C:著者とその著書
あとがき
謝辞
献辞


まえがき
 
筆者はアーネスト・へミングウェイ(Ernest Hemingway 以下、ヘミングウェイ、あるいは著者と記す)の人と作品が好きである。それは『老人と海』での海釣りや、『フランシス・マコーマーの短い幸福な生涯』でのアフリカ・サファリや、『危険な夏』での闘牛などに、ヘミングウェイと同様に筆者自身が若いときは魅せられていたからである。ヘミングウェイは、子どものとき、父親から釣りと狩猟の手ほどきを受け、男らしいマッチョな生き方を志向したとおもわれる。そして、その後、第一次世界大戦、スペイン内戦などに参戦した。彼は、「単純だが挫けぬアメリカ男」を演じ、それを主題にして作品化していった、と一部ではみられてきており、筆者も以前はそうおもっていた。
  
しかしながら、それが彼の本質であろうかという疑問を、筆者は国際バカロレア(IB)の授業でヘミングウェイ作品をテキストとして選んでから考えるようになった。そして、彼の作品をていねいに読み込んでいくと、そんなに単純な男ではない、ということに気がついた。もし、それほどの単純な男であったなら小説家としての成功はなかっただろうし、それに20世紀のアメリカを代表する作家にはならなかっただろうし、ノーベル文学賞の受賞もなかっただろう。そして気がついたことは、彼は、外見の男らしさとは別に、きわめて繊細で傷つきやすい、小心と言ってもいい性格をしていたのである。それは、彼の小説が示している。特に短編小説のいわゆる「ニック・アダムス物語」に、それが如実に現れている。
  
本書では、そのような観点から、ヘミングウェイの短編集を観ていくが、その前提として、彼の真の姿が垣間見える文章を一つ載せておく。それは、「移動祝祭日(A Movement Feast)」(岩波書店 同時代ライブラリー28 福田陸太郎訳)のなかの「サン・ミシェル広場の良いカフェ」の冒頭部分(下記抜粋参照)の文章である。そこには、著者の見た目の男らしさとは違う、小説家としての繊細さがみてとれる。この文章を読んでから、筆者はヘミングウェイの印象がまるで変ってしまった。彼は哀しく寂しい男だったのだ。
  
*****
 一人の女がカフェへ入ってきて、窓近くのテーブルにひとりで腰をおろした。とてもきれいな女で、新しく鋳造した貨幣みたいに新鮮な顔をしていた。雨ですがすがしく洗われた皮膚で、なめらかな肌の貨幣を鋳造できればの話だが。それに彼女の髪は黒く、カラスのぬれ羽色で、ほおのところで鋭く、ななめにカットしてあった。
 私は彼女の顔を見ると、心が乱れ、とても興奮した。私の物語の中か、どこかへ、彼女のことを入れたいと思った。けれど、彼女は、街路と入口を見守っていられるような位置に身を置いていた。だれかを待っていることがわかった。だから私は書きつづけた。
 物語はひとりでに展開していったので、それに調子をあわせて書いてゆくのに、私は苦労していた。もう一杯ラム酒セント・ジェイムズを注文した。そして私は目を上げるたびに、あるいは鉛筆削りで鉛筆を削るたびに、その女の子を見つめた。鉛筆の削り屑は、くるくる巻いて、私の飲物をのせてある台皿の中に落ちた。
 美しいひとよ、私はあなたに出会った。そして、今、あなたは私のものだ。あなたがだれを待っているにせよ、また、私がもう二度と、あなたに会えないとしても、と私は考えた。あなたは私のものだ。全パリも私のものだ。そして、この私はこのノートブックとこの鉛筆のものだ。
(中略)
やがて物語が終わると、私はとても疲れていた。最後の一節を読み返し、それから目を上げて、例の女の子をさがしたが、彼女は立去っていた。良い男といっしょに行ったのならいいが、と私は考えた。けれど何かしら悲しかった。
*****
  
この「移動祝祭日」はヘミングウェイの最晩年の作品で、若い時の作家修業時代のパリ生活を振り返っての思い出をつづったものである。1920年代、パリ時代の20代の著者は、まだ作品が売れず、家族と安アパルトメントで暮らし、午前中はカフェで原稿を書くという日々を送っていた。その思い出の一コマが上記の描写である。この「移動祝祭日」の扉にはつぎのような言葉が載せられている。
  
*****
もしきみが幸運にも
青年時代にパリに住んだとすれば
きみが残りの人生をどこで過ごそうとも
パリはきみについてまわる
なぜならパリは
移動祝祭日だからだ
       ――ある友へ
         アーネスト・ヘミングウェイ 1950年
*****
 
ヘミングウェイ(1899-1961)による上記の本は、1957年、58歳のときに書き始められ、1960年、61歳のときに書き終えている。そして、ヘミングウェイは1961年7月に猟銃で自殺している。享年62であった。それから三年後の1964年、同書は遺稿として出版されている。
  
ここから、筆者の「哀しきヘミングウェイ」への旅は始まる。1章から5章までは、いろいろな視点から著者と作品をみていく。それをエッセイ(試論・小論文)として記していく。ここのていねいな積み重ねが6章、7章につながっていくと考えている。そして、教員はみずから参考となる文章を書かなければならない、という筆者の思いこみの責任を果たすため、6章では作文(筆者が考える読書感想文=エッセイ=試論・小論文)を、7章では論文(IBコメンタリー=評論・解説)を試みる。
  
さらに、本書を書いているときに筆者の頭のなかに湧いてきた考えを、《哲学する閑話》として、エッセイ(試論・小論文)にまとめてみた。それを第二部に載せた。これは筆者にとっては備忘録といってもいいもので、時間がたつと忘れかねないものなので、ここにまとめて記しておくことにした。そして本書を書きながらおもった。「話すことと書くこと」はその緻密さにおいて格段の差がある、と。そのため、書き記すことは、頭の整理の訓練になるとおもうので続けていこう、と。
  
付けくわえるに、本書は、日本の作文教育をやめるために、論文教育の始まりを促進するために、稚拙ながら全編を論文の見本となるように意図して記した。本書は作文ではなく、論文である。その違いについては、「哲学する閑話」ですこしだけ触れる。そこにニホンジンの弱点と教育の後れを筆者はみている。このままでは、いずれ日本人は知的に落ちこぼれになるだろう。そのギリギリのところにいま我々はいる。論文執筆、およびニホンジンの在り方に関心のある方は、「哲学する閑話」を読んでいただけたら嬉しい限りである。
  
なお、本書ではヘミングウェイの短編小説(および、中編小説)に焦点を絞って観ていく。なぜなら、短編集には明確に主題が書かれており、一方、長編小説ではストリーに流れ、筆者にとっては主題が明視しにくいためである。参考図書とするのは、新潮文庫版の『ヘミングウェイ短編集(一)』(昭和五十九年七月三十日 二十九刷)と『ヘミングウェイ短編集(二)』(昭和五十八年三月二十日 二十三刷)、『ヘミングウェイ全短編1』(新潮文庫 高見浩訳 平成七年十一月十日 二刷)、『ヘミングウェイ全短編2』(新潮文庫 高見浩訳 平成二十八年二月五日 十六刷)、『ヘミングウェイ全短編3』(新潮文庫 高見浩訳 平成九年三月三十日)、および、新潮文庫版のヘミングウェイ著作集、である。
  
蛇足であるが、本書のようにある作家をとりあげ、その作品をできるだけ丁寧に観ていく前提として、その作家に惚れ、その作品に惚れることがひじょうに大切である、ということを今回改めて知った。それというのも、対象は生きている、あるいは生きていた人間ソノモノであるからである。惚れたときにはその対象に共感し、その細部まで、その内部深くまで観えてくることは当然と言ってもいいだろう。死んだカエルを解剖するような本の読み方では、対象の外面は観察できても、その喜怒哀楽や哲学や宗教知識などは観えにくいのは当然である。筆者は、今回、本書を書いていく中で、ヘミングウェイにつよい好感をもち、二度惚れしたようである。


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