ニッポン語 うんちく読本――ロス発、日系老人日本語パワー全開
   (2017年3月新刊) 

    ジョン 金井 著

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  ■全国書店販売書籍:\1,200 (消費税別)/(四六判128頁 ISBN978-4-434-23087-5)
  ■電子書籍: \600 (消費税別)
   2017年3月7日初版発行
  ■POD書籍 :未定
 
  (購入はTOPページの販売店でお求めください。次のフォームから、知玄舎から直接ご購入いただけます。)

本体単価 : \1,200 (消費税別)  購入する/数量 :    
ご購入の流れにつていはこちら 


 ◎本書について

アメリカLAの日系アメリカ人の高齢者が、日本語に秘められた言葉の奥深い味わいをウイットに富んで語りまくった。

 
LA(ロサンゼルス)に住みついて40年、1891年に始まったアメリカへの集団移民を皮切りから、その子孫、大戦後に渡ってきた日本人、駐在員として滞在する日本人、留学あるいは語学研修として当地を選ぶなどで様々な道のりを経てたくさんの日本人が暮らしているLAで、偶然にも巡り会った日系人引退者ホームの人々。本書はそこでたくましく暮らしている高齢者のために、著者が2009年から始めた「ソーシャル・アワー」での日本語、文化講座のありさまを書き起こしたもの。ここに集った日系人二世と大戦後に渡って来られた日本人のお年寄りの平均年齢は86。その日系高齢者との活気に満ちたやりとりで分かる、日本語の妙味と奥深さを凝縮した一冊。前書『そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本』の続刊。

●新刊販売協力書店(順不同)
喜久屋書店倉敷店/ジュンク堂書店藤沢店
MARUZEN&ジュンク堂書店札幌店
ブックファーストミュー阪急桂店/ジュンク堂書店ロフト名古屋店
ジュンク堂書店京都店/ジュンク堂書店大阪本店
ジュンク堂書店三宮店/ジュンク堂書店西宮店
ジュンク堂書店松山店/戸田書店藤岡店
丸善多摩センター店/丸善丸の内本店

◎著者紹介
 ジョン 金井(じょんかない)
 1952年 広島県呉市に生まれる。1975年 明治大学経営学部卒業。同年渡米。1979年 Woodbury University 国際経営学部卒業。1981年 LAにて不動産ローンのコンサルタント業に従事。2008年『アメリカからの八通の手紙―中国、韓国、日本の言語事情』(東洋出版社)上梓。2014年10月 『そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本』を電子書籍で、2015年7月、同名書を書店本(知玄舎)として上梓。


●目次

第一章 『紅白』の歴史
◎『紅白』の歴史
◎百歳のスイマー
◎三三七拍子
◎なでしこJapan
◎珍しい苗字
◎瓜につめあり、爪につめなし
◎手の付く言葉、大集合
◎「前」つき言葉
◎魚偏の漢字
第二章 最後の晩餐
◎キムチの誕生
◎茶漬け談義
◎中秋の名月
◎最後の晩餐
◎米の新品種
◎TKG
◎目からウロコ
◎おでんの変遷
◎何故に八丁堀?
◎柿喰えば鐘が鳴るなり東大寺
第三章 糸し糸しと言う心
◎雨雨ふれふれ
◎日本語スピーチコンテスト その2
◎情袋
◎「美」の字解
◎糸し糸しと言う心
◎フーテンの寅
第四章 オバマの中国語表記
◎星期日とは
◎生麦酒
◎我愛你
◎オバマの中国語表記
◎貼面舞
◎加油
第五章 英語の難しさ
◎和製漢語
◎前立腺とは?
◎英語の難しさ
◎カテーの問題
◎彼に憧憬してたのよ
◎フフ喧嘩
第六章 アメリカ人の心意気
◎Honk! If you Helped JAPAN!
◎アメリカ人の心意気
◎震災関連 醤油作り
◎カンショウ対象地域
第七章 1941年12月7日
◎1941年12月7日
◎『二つの祖国』
◎収容所の孤児院
◎『北米川柳道しるべ』
第八章 月から太陽への改暦
◎洗濯石鹸
◎大相撲ロス場所
◎六月の天気
◎蚊取り線香
◎三千年前の美女
◎「閏年の謎」の訂正
◎月から太陽への改暦
◎大晦日のブルームーン
 番外編 こぼれ話


 はじめに
  
 アメリカ最大の日本町と称されるリトル東京は、ロサンゼルスの市庁舎のすぐそばに位置する。市庁舎から歩いてほんの三分ほどである。その間には市警察局もあり、リトル東京にあるスターバックスへ行くと、制服を着た警官と一緒に列を組んで順番を待つということも珍しくない。
 ランチタイムになると、リトル東京は市役所の職員、市庁舎と隣接する法務局の職員たちで賑わうという構図が繰り返される。彼らは身分証明のバッジを首にかけているので、すぐにそれと判断できる。
 その市庁舎とリトル東京の並びからすぐ北を、フリーウェイ101号線は走る。同じ入口からフリーウェイに乗ると、101号線は西北西へと上って行く。
 そして十五キロほど行くと、ミュージカルで有名なサンセット・ブルバードの出口が現れる。私のような昭和二十年代生まれにとっては、『77サンセット』の舞台となった通りということで馴染みの人も多いに違いない。それを過ぎると、すぐ次の出口がハリウッド通りである。ロスの誇るハリウッドは説明の必要もないだろう。
 これを過ぎると傾斜が増して行く。そしてその次が、野外音楽堂ハリウッド・ボールへと通ずる出口だ。ビートルズを筆頭に世界中の名だたるアーチストが公演した、ハリウッドの小高い丘の斜面を生かした野外音楽堂である。
 この出口を過ぎると尚も傾斜は続き、右側にユニバーサル・スタジオが姿を現す。それを過ぎると傾斜は終わり、101号線は右へ大きく旋回する。ほぼ一回転したところで、今度は西向きへと方向転換だ。ここからはほとんど真っ直ぐ西進する。そして、四十五分ほど西進を続けると太平洋にぶつかるのだ。
 初めて101号線を走ったのはアメリカに着いて間もなくだった。四十年前の話である。そして、まっしぐらに走って太平洋とぶつかった時に思い浮かんだことがある。〝これを真っ直ぐ行くと日本なんだ〟と。
 それ以来カリフォルニア州であちこちの海を見た。しかし、〝これを真っ直ぐ行くと日本なんだ〟などと思ったことは一度もなかった。
 その後、101号線を乗って何回も太平洋とぶつかった。不思議である。その度に、〝これを真っ直ぐ行くと日本なんだ〟が思い浮かぶのだった。
  
 西暦二〇〇〇年を数年後に控えた時だった。和製漢語の謎を調べるべく連日資料集めに必死だったある夜中の話である。卓上ランプの灯りの下に広げた世界地図の真ん中は、太平洋が占めていた。太平洋を隔てた両側は日本とアメリカだ。当たり前のことである。
 そしてじっと見つめていると、ロスと瀬戸内海がほとんど同じ緯度に位置するのを知った。これも取り立てて言うほどのことではない。ところがである。長い定規を充ててロスから西へと線を引いていくと、我がふるさと広島県呉市の少し南に重なったのだった。静まり返った真夜中に、卓上ランプ一つが灯った暗闇の中で一人声を上げた。
 ロスの少し北を西進する101線をそのまま真っ直ぐ進むと、まさに我がふるさとなのだ。血が騒ぐのを感じた。太平洋にぶつかる度に思った〝これを真っ直ぐ行くと日本なんだ〟は偶然ではなかったのだ。
 とはいえ、緯度が同じだからといって二つの 都市に共通点があるわけではない。片やアメリカ第二の、羨望の的のような大都会である。世界各地からの、そしてアメリカ全国からの人口の流入が留まることをしないところである。片や、昔謳歌した軍港呉の威厳はほとんど消え去り、人口の流出に歯止めがかからない田舎の小都市だ。
 緯度が同じだからといって気候が同じであるわけでもない。一方は、メジャーリーグが開幕する初春からワールド・シリーズが終わる晩秋まで雨が一滴も降らないほどの気候である。世界のあらゆる地域から色々な人種が集まり、色んな国の言葉が耳に入る場所である。
 緯度が同じだからといって共通することは一つもないのだが、ただ一つ、日の出と日の入りの位置が同じで太陽の軌道が同じなのである。月の出も月の入りも同じで月の軌道も同じなのだ。
 ふるさとの月もロスの月も、暗闇の空の同じ位置に浮かぶのだ。月影も同じ角度に現れるのだ。それを知るだけで十分だった。それ以来、月影を見ながらふるさとの家を思うのである。ふるさとの友を思うのである。とりわけ、月影が濃くなる十五夜の夜には欠かせない。
  
 そのロスに住みついて四十年が過ぎた。当地ロサンゼルスには、多くの日本人が住む。一八九一年に始まったアメリカへの集団移民を皮切りとする初期移民の子孫、大戦後に渡ってきた日本人、駐在員として滞在する日本人、留学あるいは語学研修として当地を選ぶ日本人など、様々な道のりを経てロスに住み着いている。
 このロスでたまたま巡り合ったのが、とある日系人引退者ホームだった。二〇〇九年のことである。そこで始めた「ソーシャル・アワー」が本書の舞台です。ここに集まるのは、日系人二世と大戦後に渡って来られた日本人のお年寄りである。平均年齢八十六のみなさんが織りなす文化講座「ソーシャル・アワー」を描いたのが本書です。日系高齢者とのやりとりをご賞味ください。


TOPに戻る