●虐待を生き抜いた少年−梅の木の証言 (2013年4月18日発売新刊)
見過ごされた極限の家庭内暴力、いじめの実録
照山 雄彦 著
「日本図書館協会選定図書」(2859回、2013年8月23日「週間読書人」掲載)
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
四六判上製本、255頁 2013年4月18日初版発行 定価:1,470円(税込)
ISBN978-4-434-17729-3 C0093 \1400E 発行:知玄舎/発売:星雲社
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
信じがたい衝撃の少年虐待事件。極限の家庭内暴力、虐げられた生活、
学校でのいじめを受け続けた少年心理をリアル描いた、入魂渾身の書き下ろし。
現代社会に潜行し、見過ごされている暴力やいじめ、虐待、体罰、孤独、孤立
などの問題の深層を考えさせる、人間の尊厳に突き刺さる事実に基づく問題作。
著者は、ヘミングウェイ英文研究家、人間心理研究家、作家。
ありがとうございます。 |
[編著者プロフィール]
照山 雄彦(てるやま ゆうひこ)
1994年3月、立正大学大学院、英米文学修了。英米文学研究家、作家。
【書籍】
大学生のための英作文(上武出版、2000年4月)
大学生のための英会話(上武出版、2000年4月)
E・M・ヘミングウェイにおける原始宗教 比較文化研究所編(第二巻)(文化書房博文社、1996年11月)
ヘミングウェイ「愛」「生」「死」そこに求めた至上の精神(近代文芸社、1999年10月)
スコット・フィッツジェラルドー自己愛にみるロマンスー(英宝社、2004年6月)
(小説)ひとつぶの幸福を(鳥影社、2008年3月)
【小論】
ヘミングウェイ小論[キリマンジャロの雪](立正大学[英文学論考]1995年3月)
[フランシス・マカンバーの短い幸福な生涯]について(立正大学[英文学論考]1997年3月)
[武器よさらば]の[ヘミングウェイの方法]に関する文学的手法からの考察(東洋文化、1998年1月)
[持つと持たぬと]に関する考察−人間の精神におけるアイロニー(東洋文化、1999年1月)
フィッツジェラルド[楽園のこちら側]に関する論考(東洋文化、2000年1月)
フィッツジェラルド[夜はやさし]に関する論考(東洋文化、2001年1月)
その他 多数
目次
序 章 一本の梅の木 ( 一 ) 5
第一章 かつ坊の家、暴力のはじまり ( 二〜 六) 8
第二章 甕の中に潜む恐怖 ( 七〜 九) 31
第三章 父から逃れ木の上で寝るかつ坊 (一〇〜一三) 38
第四章 泥棒息子の噂といじめ (一四〜二二) 53
第五章 少年の孤独な洞窟生活 (二三〜二九) 85
第六章 ヘビの呪い、殺人衝動 (三〇〜三二) 108
第七章 虐待、不信、登校拒否 (三三〜三八) 127
第八章 新聞配達、ケンカの日々 (三九〜四三) 166
第九章 都会生活は土管住居 (四四〜四七) 201
第十章 大学合格…どん底からの光と愛 (四八〜五二) 232
【本書、序章の書き出し部分の極一部のみ、ご紹介いたします】
序 章 一本の梅の木
閉じたカーテンの隙間から細い帯となって天井で踊っている幾筋もの影が揺らめいている。どこからともなく鶏の鳴き声。庭先で雀がそうぞうしく鳴きたて、電柱では鳩が喉を鳴らしていた。それらの音が布団にくるまっている私の耳元まで届いてくる。水をかけられたように起き出した。
私が生まれ育った街は、関東平野の北端で、すぐ隣は福島県に位置している。県境いの山々が数珠のように連なり、すそ野は濃く薄く緑を盛り上げて海になだれ込むように迫っている。
山懐に抱かれた二十数件の家が、一塊のようになって村を作っていた。村のはずれに私の家がある。隣の家がかつ坊の家だった。
私の家とかつ坊の家は、どちらも似たような瓦屋根の造りだったが、隣の家との境に二本の梅の木がある。それは私の生まれた日の記念に、父が植えてくれた梅の木だった。もう一本の梅の木は、父が生まれた日に祖父が植えた梅の木だと、母から聞かされていた。長い年月が過ぎたために竹や雑草が生い茂り、昔の面影はないのだが、当時は梅の木の下を私の家の人も隣の人達も行き来していたため、踏み固められて細い道のようになっていた。
(以下、略)
終わりに
どうして私は小説を書くのだろうと、何度も問いつつ、挫折を味わいながら書いてきました。いつでも自分に向かって涙を流しなさい、嘆きなさい、と言い聞かせながら生活をしてきました。どんなことでも自分の心は無限に受け入れられるはずだ、と思いながら。でも、あたかも「コップ」の水が溢れ出すように、私の心にあった水も溢れ出してくるのです。それを忘れるために、その溢れ出た「コップ」の水の一滴のしたたりを、このような形にして書きました。
現在教職に身を置き、後輩のために少しでも役に立てたいと思っています。
多くの人達の愛情があるからこそ、私は生きられる。大きな幸せがあると思っています。
このささやかな本書が世に出るまでには、多くの方にお世話になりました。
知玄舎代表、小堀英一氏にはたいへんお世話になり、暖かいご指導を受け、心よりお礼を申し上げます。また、畠山美奈子氏には表紙のデザインで大変お世話になりました。
誠にありがとうございました。
二〇一三年二月吉日
照山 雄彦