● 『ジャコモ・プッチーニ』
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星出 豊 著 (指揮者・昭和音楽大学教授)
A5判上製本 240頁 2003年8月26日初版発行 定価2,940円(税込)
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生涯に2000通もの手紙を書いたといわれるプッチーニ。その手紙のなかに、オペラ作曲家プッチーニの楽譜に書かれていない作品の意図があると確信した著者が、指揮者として数々のプッチーニ・オペラ上演体験を通して著した独創のプッチーニ論。プッチーニの十戒や戦時中にヨーロッパを席巻した希有の日本人コロラトゥーラ・ソプラノ、テイコ・キワ(喜波貞子)の蝶々夫人などにも言及。オペラ研究家・愛好家必読!!
ISBN4-434-03401-4 C3073 \2800E
●著者プロフィール
星出 豊(ほしで ゆたか)
1941年東京生まれ。指揮者。昭和音楽大学教授。
東京声専音楽学校オペラ科修了(現:昭和音楽芸術学院)後、1969年渡独。ニュルンベルグ歌劇場にコレペティとして務め、1970年ウェーバー作曲「魔弾の射手」でヨーロッパ指揮デビュー。
日本では、新星日本交響楽団正指揮者及び財団理事を6年間務めるなどの傍ら、藤原歌劇団で「秘密の結婚」「妖精ヴィッリ」「イル・カンピエッロ」等の日本初演を行い、また日本オペラ協会では「綾の鼓」「祝い歌が流れる夜に」「天守物語」「あだ」他10本の初演を、さらに他団体を含めると52本の本邦初演を指揮するなど精力的な音楽活動を展開している有数な指揮者として知られており、とくに日本オペラ界への貢献では計りしれない実績を築きつつある。
近年、新国立劇場設立委員を務め、オープニングで團伊玖磨作曲「タケル」の指揮をし、また同劇場の研修所の設立に協力する傍ら、初代統括主任講師を務めたことなどは、その一端である。
●はじめに
プッチーニはその生涯を通じて、実に、何千通という手紙を書いている。その内容は、プライベートなことから音楽や、彼の創り上げてきた作品に関することまで幅広い内容となっている。
私が本書を書こうとしたきっかけは、彼の三大オペラ《ラ・ボエーム、トスカ、蝶々夫人》を彼の手紙を中心に楽曲解説をしていくことで、スコアの裏側に秘められた、創作の過程や意図を読み解くことができるのではないかと思ったからだ。そしてまたそこに、プッチーニについての新たな発見があるのではないかとも思ったからだ。
ところが、膨大な量の手紙を見進めていくうちに、プッチーニという大作曲家の華々しいデビューに隠された、様々な苦悩についても語らなければならないような、そんな思いが心に湧いてきた。
彼の最初のオペラである《レ・ヴィッリ》は、私自身が藤原歌劇団で日本初演を振らせていただいたことがある。私にとって、実に思い出深い作品である。彼の作曲家としての誕生を書くとなれば、当然に最後の作品、《トゥーランドット》の劇的な初日のことまで触れるのは必然であろう。
プッチーニの全ての手紙を掲載することはもちろん出来ない。しかし、一部の手紙を通して見えてくる、彼の作曲家としての軌跡も少し追ってみたいとも思った。
それから本書では、曲目の解説の後に、「星出の雑談」として、公演の思い出、あるいはオペラの楽しみを、音楽家とはちょっと離れたところで書かせていただいた。
特に《バタフライ》においては、喜波貞子さんという、日本ではあまり知られていないが、ヨーロッパで活躍したソプラノ歌手の話も織り込ませていただいた。
ご協力いただいた方のお名前は、その都度、ご紹介させていただこうと思う。
こうして書き始めたこの本である。実際のところ、大芸術家の作品についてあれこれ書くのは失礼ではないかと思ったりもしたが、彼に電話で聞くことが出来るわけではないので、彼の我がままと、私の我がままとを思い切きりぶつけてみることにした。
因みに2004年は《バタフライ》初演から100周年を迎える。それを記念するとともに、《レ・ヴィッリ》初演でご一緒させていただいた、故・粟國安彦氏、東敦子女史、山路芳久氏……若くして亡くなられた皆様に、感謝を持ってこの本を捧げることができたら幸いである。
●目 次
プッチーニオペラの世界
レ・ヴィッリ、日本初演(藤原歌劇団)の記録 …… 口絵1
ボエームの舞台芸術 …… 口絵2
トスカの舞台芸術 …… 口絵4
蝶々夫人、喜波貞子とワルシャワ国立劇場 …… 口絵6
はじめに ……2
第1章 天才劇場音楽家
プッチーニの軌跡 ―Storia della vita di Puccini― ……8
プッチーニの手紙 −Lettere di Puccini− ……19
プッチーニの十戒 −Il decalogo di Puccini− ……36
第2章 オペラ初作品の成功と影響
レ・ヴィッリ −Le Villi− ……50
星出の雑談 −レ・ヴィッリ ……68
第3章 愛と死の原点
ラ・ボエーム −La Boheme− ……72
ラ・ボエーム楽曲解説 ……87
星出の雑談 −ラ・ボエーム ……133
第4章 ヴェリズモ・オペラへの展開
トスカ −Tosca− ……138
トスカ楽曲解説 ……148
星出の雑談 −トスカ ……170
第5章 東方世界との融合
蝶々夫人 −Madama Butterfly− ……176
蝶々夫人楽曲解説 ……182
星出の雑談 −バタフライ ……214
トゥーランドット −Turandot− ……225
あとがき ……236
●あとがき
多くの方のご援助で、待望のプッチーニの本を出版することが出来ました。
本当は、もう少し彼のプライベートな手紙も紹介をしようと思っていたのですが、アダーミの言葉が私の心を深くえぐりました。私の文章で彼の作品に傷が付くとは思いませんが、プッチーニの私生活を暴露し、面白おかしく紹介したとしても、彼がイタリアオペラの新しい作風を作り上げていった偉大な芸術家であることには何の変わりがないのです。その上、作品はある意味での日記帳だと思っている私には、彼の作品に関係している手紙を参考に、作品を読むだけで十分だと思ったのです。
偉大な芸術家、偉大な作曲家も人間であることを知りました。苦しみも、人を愛することも、喧嘩をすることも、全て日記帳には正直に書いてあったと思います。作曲家の記号を読む難しさ、それを理解する難しさを再認識させられました。再生する芸術家と創作する芸術家との戦いは、永遠につづくことだと思います。
ひとつ言えることは、作品がない限り、再生をすることが出来ないことです。私達は本当に素晴らしい作曲家の作品に接することができる喜びを知るべきだと、あらためて思いました。
喜波貞子さんのことをほとんど知らなかった私ですが、福岡にお住まいの萬年順子さんのお陰で、松永伍一先生を紹介していただき、また先生のご好意に甘えて、「蝶は還らず」の著書から、素晴らしい文を引用させていただきました。ありがとうございました。
萬年さんは、喜波貞子さんの遺品(着物、かつら、日本の傘、ほか諸々の身に付けておられていた物)を自費で帰国させてくださいました。その遺品を今日まで、ていねいに保存されていたのは、ニースにお住まいのフランス人で喜波さんのお弟子さんだった、ミレーユさんにも頭が下がります。いつか必ず日本に戻してあげようと必死で守ってくださったようです。お墓も彼女がお守りしていたそうです。もう、御年が83歳になられるそうで、その心をミラノにお住まいの井戸靖子さんと萬年順子さんに託されたようです。そして、ニースに眠っている彼女の最後の言葉「やはり日本に帰りたかった」を実現できるよう、松永先生始め、喜波さんに関わった皆さんは、なんとかして実現に向けて努力されておられます。私も微力ながら、お手伝いさせていただこうと思っています。どうかこの本をお読みくださった方は、彼女の話を周りの方に紹介させていただけたら幸いです。
藤原歌劇団、日本オペラ協会、昭和音楽大学、新国立劇場そして、地方のオペラを育てようと、故粟國安彦と活動を始め、多くの土地、多くの場所で、多くの方達とオペラを語り、オペラを教えていただきました。皆様に厚く御礼申し上げます。また、特に40年前からのお付き合いをさせていただいている、美術家川口直次氏には、大切な美術写真をお借りし、スタッフとし、友として、この本の出版にも励ましの言葉をいただき、心から感謝申し上げる次第です。
最後になりましたが、この企画に賛同してくださりお力添えをいただいた知玄舎の小堀英一氏に深く感謝申し上げます。
■正誤表
星出豊著『ジャコモ・プッチーニ』(初版)の本文中に誤りがあります。愼んでお詫び申し上げますとともに、次のとおり訂正いたします(知玄舎)。
44頁上から4行目「音定」を「音程」に訂正。
65頁上から1行目「18世紀」を「19世紀」に訂正。
81頁上から3行目「ページア」を「ペーシア」に訂正。
190頁下から14行目「<P97 b7>」を「<P95 b7>」に訂正。
236頁下から3行目「満年順子さん」を「萬年順子さん」に訂正。
237頁上から1行目「満年さん」を「萬年さん」に訂正。
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