●そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本 (2015年7月新刊)
――LAの日系アメリカ人がどよめいた、日本語の隠し味
ジョン金井 著
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四六判 188頁 2015年7月10日初版発行 定価:(本体1,200円+税)
ISBN978-4-434-20818-8 C1081 \1200E 発行:知玄舎/発売:星雲社
★電子書籍(電子2版)同時発売(トップページから、各電子書店サイトでご確認ください)
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アメリカ、ロスアンジェルスに居住の著者が、アメリカ在住の日本人高齢者施設で行っているボランティア講演活動「ソーシャル・アワー」の基幹テーマは日本語。海外にいるからこそ分かる日本語への興味と関心から生まれた、ふだん気づかない日本語の深くコクのある話題と蘊蓄を満載。闊達でウィットに富む日系人高齢者とのやり取りの味わいも格別のおもしろさ。そして私たち日本人がほとんど知ることがなかった日本語の隠れた魅力が全開です。「閏年」の怪、「御御御付け」の読み方は?「可口可楽」とは何のこと?「Japan」の語源には大いに納得、など、日本にいては誰もとりあげず、知らなくても気にならない数々の日本語、その奥の深さが明らかに。それはかつて遥か日本から太平洋を渡りアメリカ大陸で生き延びた日系アメリカ人が、たいせつに伝えてきた日本語に秘められた価値の再発見。日本語の摩訶不思議な奥深い味わいをお伝えします。
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[著者プロフィール]
ジョン 金井
1952年 広島県呉市に生まれる。
1975年 明治大学経営学部卒業。同年渡米。
1979年 Woodbury University 国際経営学部卒業。
1981年 LAにて不動産ローンのコンサルタント業に従事。
2008年『アメリカからの八通の手紙―中国、韓国、日本の言語事情』(東洋出版社)上梓。
2014年10月 電子書籍『そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本』(知玄舎)上梓
■目 次
序章 ここはアメリカ、「ソーシャル・アワー」は日本語で
第一章 暦に秘められた深い意味
第二章 興味津々、言葉のカラクリ
第三章 今どきの奇妙な日本語事情
第四章 地名にまつわる謎の数々
第五章 身体にまつわる「からだ言葉」の秘密
第六章 人の一生――人生の仕舞い方
第七章 凄すぎる、和製漢語と漢字の〝怪〟
第八章 和語のおもしろ語感と遊びごころ
第九章 そうだったのか。Japan、日本人
はじめに
英語にvolunteerという単語がある。今では日本語でもボランティアと言うようだが、以前は「奉仕」という言葉が良く使われた。奉仕という言葉に初めて出会ったのは中学生の頃だったろうか。五十年ほど前である。分解すると「仕え奉る」となる。この言葉に背筋を伸ばして挑むという響きを感じたものだ。
そこへ作業という言葉がつながって「奉仕作業」ともてはやされたのだから、勤労奉仕にある〝お国のため〟とまでは行かないまでも、背筋を伸ばして何かに仕えるという雰囲気があったのは否めない。アメリカで使われるvolunteerに比べ、日本語の奉仕はどうも堅苦しい。
以前、TreePeopleというボランティア・グループに加わったことがある。ロサンゼルスおよびその周辺の街に木を植え、手入れをするという作業を地道に続ける集まりである。会員は皆がボランティアで、隔週の土曜日、朝九時から正午までの活動だった。
そして、この団体が創設後三十年の間に植えた木の数が二百万本というのだから物凄い。街路樹を増やし、自然環境の改善に少しでも役立ちたいという気持ちで参加したことが思い出される。
参加者は老若男女を問わず、色々な人種に及んだ。ブラジル、ロシア、メキシコ、コスタリカ、エクアドール、ユダヤ人と多種多彩であった。
そこで経験した話である。ある土曜の朝、ロス近郊の自然公園へと出かけて行った。朝の九時というと、草木は未だ朝露にぬれていて爽快感を与えてくれる。
丘の斜面に育つ木々の周りにはびこる雑草を抜いたり、肥料を与えたりしていたときだった。そばにいたメンバーの一人が、「This is a volunteered tree.」と大声で叫んだのだ。夢中になって作業している最中だったこともあり、そのvolunteered treeという聞き慣れない使われ方に戸惑った。木がボランティアするわけがない。
かといって、volunteered treeとはどういう意味なのかと問い返すのも場はずれの雰囲気だった。そのメンバーの興奮を冷ますことになりそうだったからである。ただその状況からして、volunteerに自生という意味があるのかも知れないという思いは浮かんだ。
家に帰り、さっそく英和辞典を引いた。volunteerの日本語訳は、有志者、志願者、無償奉仕者とあった。そして、自発的な、自生の、自生植物という説明も成されていた。volunteered treeはまさに、自生植物を意味するのだった。
そこには動詞としての用法も記されていた。〝1.志願兵になる。2.(を)自ら進んで〔発言する〕、自発的に申し出る。志願する。〟と。
この国の決まり文句に「Who is going to volunteer?」というのがある。父兄参観日などで学校へ出向いてみると、先生が学童に向かって問うのである。「Who is going to volunteer?」と。日本語の「答の分かる人?」に当たる英語の慣用句なのだ。英和辞書に載った〝(を)自ら進んで〔発言する〕〟がまさにそれである。
volunteerという英単語の語源は、「自ずと」あるいは「自ら進んで」というほどのものである。奉仕と訳された日本語とは、意味合いの上で少なくない違いがあるようだ。
もう一つのボランティア事情を紹介しよう。アメリカに「サッカー・ママ」と慣れ親しまれる呼び方がある。サッカーのリトル・リーグのような組織であるが、それをAYSO(American Youth Soccer Organization)と呼ぶ。その組織を指揮し運営するのがサッカー・ママ達である。
全米に五万のチームがあり、参加人員は五十万に達するという。そしてこの組織を盛り上げるボランティアの数が、なんと十五万人なのである。
コーチ、審判、線審、記録係、すべてがボランティアによって成される。親はいうまでもなく、街のお年寄り、そして商店街からも応援に駆けつけ、街が一体となって子供に夢を与えるのだ。アメリカに生まれた子供たちは、親が、家族が、そして街全体がボランティア精神で動いていることを全身で感じながら育つのである。
極端な分析をほどこすと、アメリカ教育の最大の目標は、〝他人と社会のために生きる人間に育てる〟ということではないかと思うほどだ。
面白い統計があるので紹介しよう。これは六・七年前の数字だが、アメリカ全国で一年間に成されるボランティア活動を報酬として割り出したとすると、年間三千億ドルに上るという。一ドル百円で換算すると、なんと年間三十兆円である。日本の一年の国家予算は百兆円弱だと聞く。ボランティアの国アメリカを象徴する数字だと言えよう。
本書『そうだったのか! ニッポン語ふかぼり読本』は、ロサンゼルスにある日系人引退者ホームでのボランティア活動を綴ったものです。「ソーシャル・アワー」というカリキュラムにおいて繰り広げられる日系人高齢者とのやり取りをご賞味ください。
なお本書は、当地にある月刊情報紙『オレンジネットワーク』に二〇一一年より連載されたコラムをまとめたものです。
あとがきに代えて――日系アメリカ人として
(これは、ビジネス情報紙『エルネオス』二〇一一年九月号に書いた文章です)
アメリカにあって日本にないものの代表というと、チップ制度であるにちがいない。レストランで食事をしたりバーで酒を飲んだ後、チップを置かずに出てくることはできない。美容院や床屋も同じだし、タクシーはもちろんである。
三十六年前にアメリカへ渡ってきたときには、初めてのチップ制度にあたふたとした。ところが面白いものである。長年住むとそのことにも慣れてきて、今度は日本へ行ったときに申し訳なさを感じるのだ。
先日、興味深いチップ事情を聞いた。ハリウッドの高級レストランで働くウェイター曰く、「ユーロに対してドルが安くなると困る」のだそうだ。ヨーロッパからの旅行者が増えるからである。「彼らは、しみったれだから」とも言った。一五~二〇%が一般的なアメリカ式に比べ、イギリス人は一〇%、他のヨーロッパ人は一〇%以下であるらしい。ひどいのになると、三〇〇ドルの勘定に三ドルほど置いて、「遠慮せずに取っといてくれ」と大きな顔をする客もいるという。
ロスという人種のるつぼに住んでいると、いつとなく思うことがある。ロスに生きる外国人は、皆がそれぞれの国の代表選手を務めているのではないかと。
五ヶ月ほど前の話である。それは、宮城県名取市にある介護施設の一室だった。涙をぬぐうこともせず、ただただ手を合わせてお辞儀を繰り返す老人の姿が映し出された。インドネシア政府の方針により帰国を余儀なくされた六人のナースが、三週間ぶりに戻ってきたのである。震災からの復旧も、原発の収拾の見通しも立たない状態ではあったが、介護施設の老人たちのことが心配で仕方なかったのだそうだ。
この話に身震いした。いっぺんにインドネシア人のことが好きになった。インドネシアという国に好意と敬意を持った。これこそが国際友好だと思う。国際会議でいくら国際友好を叫ぼうとも、このインドネシア人と介護施設の老人とのふれあいに勝てるはずはない。
人種のるつぼとは、色々な人種がごっちゃに生きている場ということである。つまり、色んな国の文化がごちゃ混ぜということだ。
アメリカへ移住してくる者はすべて、引っ越し鞄に自分の荷物をぎゅうぎゅうに詰めてやってくる。自分の国のしきたりをどっさり詰め込んでくることも忘れない。路上でつばを吐くことに意を介さない国の人は、この地でもそのことに意を介することはない。人前で大声を出すことが当たり前の国の人は、ここでも同じである。
以前、日系二世の知人から聞いた話がある。アメリカ人は、大声を出す人、不潔な人、臭いのする人を好まないというのだ。
咸臨丸がサンフランシスコに入港してから、すでに百五十年の年月が過ぎた。その間、数えきれないほどの日本人が太平洋を渡ったであろう。彼らもまた、引っ越し鞄に日本のしきたりをどっさりと詰め込んできたのである。
ところが幸いにも、日本には、大声を出したり、不潔にしたり、臭いのするのを良しとしない慣習があった。周りへの心配りという宝物と、自分をひけらかすことをしない慣わしも持っていた。
今回の震災では、心温まる援助が世界中から届けられた。これを見て思うのだ。咸臨丸以降に世界へと飛び立って行った数えきれない数の日本人ひとりひとりが、日本の良きしきたりを守り、地道に正しく生きた証しではないかと。
そのことを引き継ぎ、日本の代表選手であることを自覚し、日系アメリカ人として正しく生きたいと思う。そして、次の世代へと伝えたいものである。