ニホンジンとは何ぞや?

   ――Zenする人格進化民族(シドニー無分別庵便り1~5巻改訂・総合版)  (2016年8月新刊)

   永淵 閑 著
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  ■POD書籍 ISBN978-4-907875-33-6 B6判、価格(本体1500円+税)
   2016年8月26日初版発行
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  ■電子書籍同時発売、価格(本体700円+税)
   2016年9月2日初版発行
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 ◎本書について
本書は、『シドニー無分別庵便り』第1巻~第5巻(2014年10月~2015年2月初版、知玄舎電子書籍)を改訂し、一冊に総合したもの。
シドニー在住の著者が、日本という国と文化と、それを育んできたニホンジンという民族を、世界的な視野から見つめ問題提起する、先駆ける若者へ贈る小さな伝言。

 
先駆ける若者へ贈る小さな伝言――シドニー在住の著者が、日本という国と文化と、それを育んできたニホンジンという民族を、世界的な視野から見つめつつ、心にふれた日々の所感を、わたしたち日本人のハートに伝えるために、2014年秋から翌年春にかけて『シドニー無分別庵便り』として毎月上梓してきた電子書籍シリーズ5巻を、内容を改訂し一冊にまとめた総合版。私が首相なら、日露豪印土の共通憲法、中国人要人ラチの方法、4人のイエス、ブッダと4種の修行者、イギリス人の常識、中退という言葉がない豪州の大学、State・Nation・Countryの違い、高倉健という文体、生きながら死人となりて……ほか、海外在住のニホンジンだからこそ見えてくる、世界のなかの日本とニホンジンの使命――。それを考えさせ、再認識させてくれる問題提起満載。(編集部)

◎著者紹介
永淵 閑(ながふち かん)
東京生まれ。オーストラリアのシドニー在住。文筆業。同時に、大学でのライティング授業、ハイスクールでの国際バカロレア授業、それに帰国子女受験生の小論文個人指導ほか、日本語ライティング指導を少人数受けている。
著書:『インドを這う』(立風書房)、『サハラを這う』(立風書房)、『イベリア夢街道』(山手書房新社)、『セミリタイアのすすめ』(文香社)、『「哲学する!」練習帳』(文香社)。以下、知玄舎より発行。『国際バカロレアと点才教育(改題・新訂版)』、『シドニー人間紀行――6人6話の光と影』、『タスマニア「般若心経」思索紀行』、『Zen悟り考 「シドニー無常風」、「インナー紀行」、「悟りと悟る」』、『オテントサマの神話』(シリーズ本)、『シドニー無分別庵便り』(シリーズ本)がある。専門は、鈴木大拙の禅哲学の「悟りとはなんぞや」を基盤に、そこから発展させたフィクション、ノンフィクションの執筆。


●目次

 まえがき
第1巻
 1:滅びてほしくない民族ニホンジン――ニホンジン論
 2:6種類の仏教――宗教の時間
 3:イギリス人の常識――読書の時間
 4:シドニー無分別庵句会――俳句の時間
 5:ハラキリと朝日新聞――鳥居クスタ君
 6:中退という言葉がない豪州の大学――教育の時間
 7:悟りと無分別(1)――大拙を読む
第2巻
 1:過ちは二度といたしません――ニホンジン論
 2:キケンなピーナッツ――夕食日記
 3:トルーデおばさん――読書の時間
 4:シドニー無分別庵句会――俳句の時間
 5:ゴルフと孫へのペナルティー――教育の時間
 6:私が首相なら――鳥居クスタ君
 7:4人のイエス――宗教の時間
第3巻
 1:中国人要人ラチの方法――鳥居クスタ君
 2:ユダヤ教・キリスト教・イスラムの神の名は?――宗教に時間
 3:サンマのハラワタは食べない――夕食日記
 4:シドニー無分別庵句会――俳句の時間
 5:司馬遼太郎を読む(1)――読書の時間
 6:マラソンの距離を覚えていますか?――ニホンジン論
 7:State / Nation / Countryの違い――定義の時間
第4巻
 1:日・露・豪・印・土の共通憲法――鳥居クスタ君
 2:ブッダと四種の修行者――宗教の時間
 3:ダンテの『神曲』――読書の時間
 4:シドニー無分別庵句会――俳句の時間
 5:ロシア将兵の弔魂碑――ニホンジン論
 6:悟りと無分別(2)――大拙を読む
第5巻
 1:無分別神社/死者に敵も味方もない――鳥居クスタ君
 2:高倉健という文体/男は、いかに生きれば美しいか――ニホンジン論
 3:安すぎる中国産のうな丼――夕食日記
 4:シドニー無分別庵句会――俳句の時間
 5:生きながら死人となりて……――宗教の時間
 6:悟りと無分別(3)――大拙を読む
 あとがきニホンジン」へ


まえがき
  
 ある日、――。
 会社を辞めてインドへ貧乏旅に出ようとおもった。深いところからの呼び声を聴いた、とおもった。そして、数ヵ月の地を這うような旅を終え、日本にもどってから、旅のなかで考えていたことを整理し、本として出版した。そして、その過程で自分のムチさ、ゲスさを知り、多くの本を読みはじめた。およそ33年前のことである。すべて、好きではじめたことである。その後、インド、中東、南欧、アフリカなど、世界30ヵ国以上を貧乏旅して歩いた。本を読み、貧乏旅をし、そのとき考えたことを書きつづけた。そして、結婚し、家族をもち、シドニーに住みはじめた。これも好きではじめたことである。
  
 すべて、自分の好きではじめたことだから、嫌なことはひとつもなかった。ただ、好きなことをやりつづけるには、その裏に、つらいことも合わせ鏡のようにもたなければならなかった。それは、定職・定収入をもたないわけだから、つねに極貧で、つねに家族に負担を強いた。普通の生活をすることと、私のタマシイが求めるセカイは、一致しなかった。だけど、この33年間、冗談ではなく、なんとかギリギリ、飢えて死ぬこともなく過ごした。あと少し生きれば、少なくとも私は、飢えて死なないで死ねそうである。
  
 そうして、33年前から、世界を旅し、本を読み、書いて考える、という表層の旅と同時に、ニンゲンを探る旅、が主要な生活になった。つまり、ニンゲンとは何ぞや? への好奇心である。表層の意識世界と、ニンゲンの深層無意識セカイを、大拙Zenの無分別を切り口にして、考えつづけてきた。眼に見えるところの人間と、眼には見えないがソンザイとしてあるニンゲンについてである。それを、「旅して考える」、「読んで考える」、「書いて考える」、という方法で続けてきた。
  
 いろいろな国に旅をし、海外に住みつづけて、痛感することがあった。それは、私が日本にいたときの日本人観と、海外の人がもっているニホンジン観の落差についてである。私は日本人として、負い目を感じながら、最初は、海外の人に接した。しかし、私が出会った方々のニホンジンへの印象は、第1巻の最初に書いた「滅びてほしくない民族・ニホンジン」のように、とても肯定的であった。そして、肯定的である以上のすばらしい評価が、ニホンジンに対してなされていることを知った。「近未来の我々が理想とする人間像が、現在のニホンジンです」、というコトバまできいた。
  
 それは、他のアジア諸国のひとに対しては、まったくない高い評価である、と私はおもった。私は、ニホンジンであることを、とても誇らしくおもった。その思いを本書で、わが同朋ニホンジンへ、未来をつむぐ若者へ、勇気を与え、元気を与えるもの、として届けたい、と考えた。それが、本書を書いた動機である。私の稚拙な文章では、それがうまく伝えられていないもどかしさを感じている。しかしながら、現在の区切りとして、ここでみなさんの厳しいご批評を受けたい、とおもう。そういうなかで、私自身を、今後も鍛えていきたいと望んでいる。12年後には、すこしは中身のある文章が書けることをめざしていきたい、とおもっている。
  


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