モーツァルト−18世紀ミュージシャンの青春−
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  久元祐子 著  四六判 244頁 2004年1月15日初版発行 定価1,890円(税込)
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  レクチャーコンサート活動などが話題のピアニストであるとともに、モーツァルトの研究家として知られる著者が『曇りのない目でモーツァルトの生涯を眺めれば、「神童時代」でも「晩年」でもない、その間にある「青春」が、魅力のあるテーマとして立ち現れてくる』……という視点から、比較的情報の少ない青春時代のモーツァルトの思考や心情に迫ろうとする意欲作。


ISBN4-434-03927-X C0073 \1800E

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【著者略歴】

 ピアニスト。東京芸術大学音楽学部器楽科(ピアノ専攻)を経て、同大学院修士課程を修了。
 ベートーヴェン《テレーゼ》《ワルトシュタイン》のCDでは「どこからどう考えても最高のベートーヴェン演奏」(グラモフォン)、「名盤ひしめく中、久元なりの個性を刻むことに成功」(日経新聞)と絶賛されるなど、芸術性の高い演奏活動を展開。内外でのリサイタル、オーケストラとの共演のほか、NHK−FMリサイタル、NHK「ラジオ深夜便」などの放送番組にも出演。
 モーツァルトのレクチャーリサイタルは朝日新聞「天声人語」に紹介されるなど、モーツァルトの演奏、研究で定評がある。

[著書・論文]
 『モーツァルトはどう弾いたか』(2000年、丸善出版)
 『モーツァルトのクラヴィーア音楽探訪』(1998年、音楽之友社)
 『世紀末の音楽風景』(1996年、ムジカノーヴァ)
 『現代は夢の病理とどう向き合うのか』(1995年、毎日21世紀賞受賞)
 『音と音楽から都市を考える』(1994年、毎日21世紀賞受賞)
 『新しい音楽都市像を求めて』(1993年、名古屋文化振興賞)
 このほかピアノ演奏法、演奏論、音楽史の論文、エッセイなど多数。

[久元祐子ピアノ演奏によるCD] 
 《ノスタルジア・懐かしい風景》(2003年、ナミ・レコード) 
 《Mozart Piano Concertos & Symphony 》(2003年、ラ・フォルテ)
 《とっておきのクラシック(2)TV 》(2003年、Warner Classics) 
 《とっておきのクラシック(2) シネマ》(2003年、Warner Classics)
 《久元祐子べ一トーヴェン「テレーゼ」「ワルトシュタイン」》(2000年、コジマ録音)
 《久元祐子・ショパンリサイタル》(1999年、コジマ録音)


はじめに

 後世の人々は、モーツァルトの短い生涯の中の、主としてふたつの側面に大きな関心を寄せてきたように思う。
 ひとつは、ヨーロッパ中を席巻し、人々を瞠目させた「神童」モーツァルト、もうひとつは、貧困にあえいだと伝えられる晩年とその悲劇的な死についてである。
 「神童」と「悲劇的な死」というふたつの側面が後世クローズアップされてきた背景としては、モーツァルトの死後書かれた伝記のソースに偏りがあったからである。
 モーツァルトの名声は、死後すぐに高まった。そして、モーツァルトの生涯に対する関心も深まり、何冊かの伝記も書かれていった。初期の伝記を著した作者が材料としたのは、当然のことながらモーツァルトと生前の日々をともにした人々の証言であった。モーツァルトの姉ナンネル、そしてモーツァルトの未亡人コンスタンツェはまだ存命で、このふたりの女性からの聞き書きは、伝記が書かれる上で大きな役割を果たした。
 しかしこのふたりの女性は、モーツァルトとずっと生涯をともにしたわけではなかった。モーツァルトは二十五歳でザルツブルクを後にするが、とくにコンスタンツェと結婚してから、姉と弟の関係はひどく疎遠なものとなった。一七八七年、父レオポルトが亡くなったときも、モーツァルトは残されたナンネルのもとに馳せ参じてはいない。かつてクラヴィーアを連弾してヨーロッパ中を沸かせたこの姉弟は、亡父の遺産をめぐって対立し、冷たく、実務的な手紙をかわしたのみである。二人は、再び会うことはなかった。
 一方コンスタンツェは、モーツァルトの死後、その作品の保存や出版に大きな手腕を発揮するが、モーツァルトに関する記憶は、当然のことながら、彼女がウィーンでモーツァルトとともにした、十年あまりの日々に限られていた。コンスタンツェは二度目の夫、カール・ニッセンの死後、ザルツブルクに移り住むが、同じように夫に先立たれて嫁ぎ先から戻ってきていたナンネルとは言葉を掛け合うこともなかったという。ふたりの女性は、ともにその記憶の中で大きな存在であったに違いないモーツァルトについて、語り合い、思い出を共有することはなかったのである。
 最初に書かれた本格的なモーツァルトの伝記は、フリードリヒ・シュリヒテグロルによるものだが、彼は情報の多くを、ザルツブルクのナンネルから得た。ナンネルは、シュリヒテグロルに、モーツァルトがいかに神童であったか、そして、人間としてバランスがとれていなかったか、を吹き込んだ。結果としてその内容は、「神童」モーツァルトの幼少時代、とりわけ旅での成功に割かれることになった。
 シュリヒテグロルの伝記に続いて書かれたのが、フランツ・クサーファー・ニーメチェクによるものだが、彼は生前のモーツァルトのことを知っており、コンスタンツェからも情報を得てモーツァルトの晩年にまつわる話を膨らませた。
 コンスタンツェの二番目の夫、ニッセンは、その晩年をモーツァルトの伝記の執筆に費し、その内容は全体的に見てバランスの取れたものとなっている。ニッセンは、モーツァルトやレオポルトの手紙をちりばめたが、同時に妻コンスタンツェからの聞き書きも大きな役割を果たしている。
 こうして、ナンネルの証言をもとにして書かれた伝記は、モーツァルトの神童ぶりに力点を置かれる内容になり、一方、コンスタンツェの証言によった伝記は、モーツァルトの晩年と死が強調される内容となった。サリエリによる毒殺説も流れたくらい、モーツァルトの突然の、悲劇的な夭折は、当時のヨーロッパの人々にとり、大きな関心事であった。
 年月が流れ、モーツァルトについてのたくさんの伝記、研究書、文学作品が書かれるにつれ、 「神童」と「悲劇的な死」のふたつの側面はさらに強調されるようになっていった。もちろん近年においては、バランスの取れた伝記や評伝などが出版されているが、やはり映画『アマデウス』に見られるように、多くの人々の関心を集めるのは、これらのいずれかの側面であるように見受けられる。
 バイアスとアンバランスはやはり正されなければならない。近年における実証的な研究も含め、この二百年以上にもわたるモーツァルト研究の蓄積を踏まえて曇りのない目でモーツァルトの生涯を眺めれば、「神童時代」でも「晩年」でもない、その間にある「青春」が、魅力のあるテーマとして立ち現れてくる。
 モーツァルトは、才能ある若いミュージシャンとして、また、野心を持ったひとりの青年として、どのような青春を送ったのか。いろいろな意味で時代の転換点にあった十八世紀後半の貴族社会の中で、若きモーツァルトは、何を感じ、何を考え、何を経験したのか。そして青春の日々は、そのときどきの作品にどのように反映されているのか。
 モーツァルトの青春を描く上で、大きな障害となるのが、ザルツブルク時代における情報の欠如である。モーツァルトの生涯を知る上で、その膨大な手紙は大きな手がかりになるが、モーツァルトが家族とともにザルツブルクでその多くを過ごした十代の後半は、当然のことながら手紙がほとんど書かれなかった。
 情報の少ないザルツブルク時代だが、後年の手紙の中に出てくる回想や、この頃作曲された作品から、モーツァルトの青春の一断面を垣間見ることができるのではないか。私は、とりわけクラヴィーア(当時の鍵盤楽器の総称)のために書かれた作品をじっくりと弾きこみ、また、クラヴィーア作品以外の作品を繰り返し聴きこんで、作曲前後のモーツァルトの思考や心情に想いを馳せることにした。
 演奏家としてのモーツァルト像は、作曲家としてのモーツァルト像とある意味で一体であった。神童時代以来の厳しい訓練と豊富な経験をもとに、モーツァルトは青春の中で、クラヴィーア演奏家としての腕をみがき、同時代の作品を研究し、みずみずしい作品を書いていく。そして、これらの作品には、女性たちとの出会い、失恋、挫折、葛藤……といったさまざまな想いと経験が反映されているように思える。
 多くの青春がそうであるように、モーツァルトの青春も、父親からの独立、権威への反抗、そして旅立ちによってそのクライマックスを迎える。神童モーツァルトは父レオポルトによってつくりあげられ、一心同体ともいうべき行動をともにしてきただけに、モーツァルトが父親から離れて旅立ったことは、モーツァルト自身の人生への旅立ちでもあった。そしてこの出奔は、癒しがたい親子の断絶をもたらした。
 コンスタンツェとの結婚によって、モーツァルトは、父レオポルトから精神的に独立し、新しい人生のステージを迎える。そして多くの人生と同じく、結婚によってモーツァルトの青春は終わる。
 本書が扱うのは、モーツァルトの青春のいわば前編―性と自我意識にめざめる十代前半から、二十一歳になったモーツァルトが大司教に辞表を提出して旅立つまでの八年弱である。


●目次

     まえがき…1

第一章◇イタリアへ●7
    ブレンナー峠…8  歓待と成功…14 マントヴァのコンサート…22 マルティーニ神父…22 
    少年の観察眼…28 少年の知識と知性…34 「水の都」…38 水上の音楽都市…42 快楽都市…45

第二章◇少年オペラ作曲家●54
    『ポントの王ミトリダーテ』…54 婚礼劇…58 祝賀行事をめぐる人間模様…60 
    『アルバのアスカーニョ』の上演…64 就職の失敗…68 第三回イタリア旅行…72 イタリアとの別れ…77

第三章◇宗教国家●85
    故郷への想い…86 宗教国家…89 大聖堂と教会…94 レオポルトと宮廷…97 大司教の交代…104  
    シンフォニー…110

第四章◇ウィーン―この不可思議な都●115
    ウィーンへの憧れ…116  ウィーン―十八世紀の人種の坩堝…120  メスマー邸…124  女帝との会話…130  
    ウィーンで生まれた作品…136
第五章◇宮廷音楽家●143
    ザルツブルクの日常…144  コロレド大司教…146  祝祭都市…155  十八世紀半ばのコンサート事情…164

第六章◇ミュンヘン●1 73
    バイエルン選帝侯…174  偽の女庭師…177  最初のクラヴィーア・ソナタ…179  ハイドンの影響?…182  
    ヨハン・クリスティアン・バッハ…188  ピアノフォルテ…192  すきま風…197

第七章◇旅立ち●203
    ヴァイオリン・コンチェルト…204  脱出願望…208  反抗の萌芽…214  変ホ長調のコンチェルト…219  
    女性とのトラブル?…225  辞職願い…230  

    あとがき…239


    コラム●文豪と天才…12 クラヴィーア―モーツァルト時代の鍵盤楽器…17 
    モーツァルト研究家アインシュタイン…28 カストラート…32 ヴィヴァルディの『四季』…45 
    クリスティーネ・シェーファーのこと…76 18世紀のユダヤ人…94 ディヴェルティメントの名演…110  
    ピアノのための変奏曲…132  フォアマンの『アマデウス』…150


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