かえるノート−乳ガンになって私が選んだ道    

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  かえる(花田利江) 著 128頁  2007年5月16日初版発行 定価:1,260円(税込)
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  「ごく普通の患者」にはまったく参考にならない「かえる」闘病記

  「かえる」はWeb上のハンドルネーム。本名は、花田利江(はなだとしえ)。

  乳ガンになって知った医療界のいろいろなこと、楽しくすさまじく生きる術を大公開。

  オールカラー・フルイラストの見て楽しく、読んで笑えて泣ける、傑作。


  【推薦のことば】

  最期の思いと向き合う。
  心の痛みを和らげる事は出来ると思う。
  大病を患いながら、こんなに深く楽しくアクティブに人生を愛し、生ききった人を知りません。

  (奈良療法院院長 津野晃玄斎)


カバー表  カバー裏
 ISBN978-4-434-10634-7 C0077 \1200E

単価 : \1,260 (消費税込み)  購入する/数量 :    
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■どうぞ、中身のイメージをご覧ください。オールカラー、フルイラストで、こんな生き生きしてちょぴり哀しい本です。

 
  (これは、企画段階の本文展開イメージで、実際と異なっているところがあります)

●著者略歴

著者:かえる(花田 利江:はなだ としえ)
1960年5月16日生まれ。A型、フリーパタンナー。
性格…行動的。
趣味…旅行、バレエ、洋裁、掃除、チョコ作り、英会話。
お気に入り…宇宙軒の餃子、富田ファームのラベンダーソフト、バサラの100時間カレー、六明閣の皿うどん、ミッシェルバッハのクッキー、イスズベーカリーのハードトースト、ビックル・お風呂・湯たんぽ、人体の不思議展、ユトリロ・ルネラリック・法隆寺の百済観音、大江千里、かえる。
病歴…1998年左胸全摘、浸潤性乳管ガン、StageVb LevelT14/22 U3/3 V6/7、2000年両肺多発、両眼脈絡膜転移、2002年多発骨転移、2005年副腎転移。
2006年3月15日かえる星へ旅立つ。

監修:花田 和典(はなだ かずのり)
1960年兵庫県生まれ。フリーのCGデザイナー。そして「かえる」の夫。

絵:秋月 真由美(あきづき まゆみ)
1963年大分県日田市生まれ。
東京、文化服装学院・アパレルデザイン科卒。株式会社ワールドにデザイナーとして入社。
退社後、イラストレーターとして年1回の個展・グループ展を続ける。現在日田市在住。
「大分県オートポリス・トンネル壁画」「蓮如上人500回忌ポスター」など。


はじめに

本当に「自分らしく生きる」人に出会える幸運は滅多にあるものではありません。でも私は出会ってしまいました。それが私の妻でありこの本の作者でもある『かえる』です。もちろん『かえる』はWeb上のハンドルネーム。本名は『花田利江(はなだとしえ)』。
なぜ『かえる』なのかと言われても深い意味はありません。カエルが大好きだから。それだけです。
彼女は乳ガンで2006年3月15日朝に亡くなりました。後にはお腹をすかせたカエル7匹と私(夫)が残ったのです。
彼女は私を初め沢山の人に刺激と影響を与え続け、45歳で天国に行きました。
そう本当に天国に行ったと思います。それは彼女が天使のような人だったからでは決してありません。彼女の生き方にはまったくうそが無かったからです。私は後にも先にもあんなにうその無い、正直で綺麗な目をした人を見たことがありません。それはとても不器用な生き方でしたがそれが彼女のすべてでした。だから今も絶対天国でわがままで不器用に、そして楽しく暮らしているのだと思います。

彼女は子供の頃から色々な荒波を自力で乗り越えてきました。転んでも絶対にただでは起きない性格。自分で人生を切り開いていく行動力と運を持っていました。
東京の文化服装学院で学んだ後、地元神戸のアパレルに入社し、そこで私と知り合いました。
それから友達同士のような結婚生活がスタートし結構楽しく暮らしていたのです。
しかし11年後の1998年秋に彼女は乳がんの宣告を受けました。
そしてその2年後に再発。これで私たちの生活は一変……と言いたいところですが、そこは転んでもただでは起きない性格。また新たな目標・生きがいに向かってとても充実した「自分らしい」人生を歩むことになったのです。それは乳ガンにならなければ絶対に無かった人生でした。
そんな彼女は「再発から5年後」もし元気に暮らしていたら自分の思いを本にしようと決心。しかしその5年目に彼女は亡くなりました。
その間に書き留めた日記・ノート・手紙やメールがこの本の元となっています。
出来るだけ原文をそのまま載せるように努力しましたがどうしても難しいところは多少手を加えました。
イラストは彼女の親友でイラストレーターの秋月真由美さんが、そして人の何十倍もの濃度で生きた彼女を結婚してからずっと見続けてきた私の思いがちょっとだけ入って完成しました。
共感できる方は思いっきり共感してください。そうでない方は「へぇこんな考えの人もいるんだ。」って思いながら見てください。
あの澄んだ綺麗な目で見た世の中は、社会は、医療は、どんなものだった
のでしょうか?
少しでもその思いがみなさんに伝わればと心から思います。

  かえるの夫 花田和典


おわりに

彼女が旅立って1年が経ちました。とても早く、そしてとても長い1年でした。
この本を出版するに当たってご協力、ご声援いただいた沢山の皆様に感謝いたします。特に彼女を最期まで支えてくださった奈良療法院の津野先生。そして全ページカラーという無理なお願いを快く承諾していただき、色々な智恵をお貸しくださった知玄舎の小堀社長様。本当に有難うございました。なんとかここまでたどり着くことが出来ました。そして何よりも彼女自身が私の後ろから「ここはああだ!こうだ!」とビシバシと指示をしてくれたおかげでもあります。
この本は7年間書き残した日記やノートが元になっています。もし今、彼女自身が7年間を思い浮かべながらこの本を一から執筆したらどんな本にするだろうか。ずっと悩み続けてきました。でもそれは考えても仕方のない事。それよりも生の文章をそのまま載せることで『その時』『その場所』で感じた気持ちをありのまま感じていただくことのほうがいいのではないか。そう決心しこの本を企画しました。しかし残された文章だけで彼女の思いを表現する事は至難の業です。この本でどれだけ表現できたか。今も不安で一杯です。
彼女は遊んでも仕事をしても旅行や料理を作っても何をしても200%全力投球。止まったり休んだりした姿を見たことがありません。どんな状況でも楽しく生きて出来ない事は努力する、そして悩んだ時の判断基準は常に「自分らしいかどうか」そんな人でした。「精一杯生きる」という言葉は彼女の為にあると思っていました。そして今でもそう思っています。
当時彼女のような「自己主張」する患者はまだまだいませんでした。医療者にとっては単なるわがままで変な患者としか映らなかったのではないでしょうか? でも一見わがままに見えるけれど出来ない事を駄々こねているわけではなく、当たり前の事を当たり前に主張していただけなのです。
それ以降、医療界は患者中心の医療へと徐々に変わって行こうとしています。
『私みたいな変な患者はこれからどんどん増えていくので「練習」だと思って付き合っていってくださいね。先生ラッキーですよ。』と主治医によく話をしていました。
ちょっと早すぎたのです。昔からいつもそうでした。時代が少し追いついていなかったのです。だから今から5年後10年後には彼女が望んだ様な理想の医療が絶対現実になるはずです。いや、是非そうしなければいけません。そしてその中で僕に出来る事は何か……。その答えも見つけなければいけません。また彼女に会う時に報告が出来るように……。
彼女が空から僕たちを見守ってくれているように、僕は地上から彼女を見守り続けます。これからもずっと。
また会う時まで。

 2007年4月 花田和典


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