第九交響曲 ニッポン初演物語 (2009年8月新刊)     

  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
  木村 伸夫 著  四六判上製本 224頁  2009年8月8日初版発行 定価:1,575円(税込)
   ISBN978-4-434-13442-5 C0093 \1500E
  ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

 
それは、第一次世界大戦(1914-18)最中、日本に収容されたドイツ俘虜がもたらした西洋音楽、
 ヴァイオリンの音色への驚きと感動。俘虜と人びととの心温まる異文化交流の末に、
 ついに鳴り響いた西洋音楽の最高峰、ベートーベン「第九交響曲」初演奇跡のドラマ。


●『関西音楽新聞』12月1日発行の「新刊ガイド」に紹介されました。ありがとうございます。

●日本図書館協会の「選定図書」に選ばれました。

●『大阪日日新聞』(2009年12月28日、7面)で、紹介されました(紹介者は、今西恭晟氏)


 『第九交響曲』を愛してやまない全ての人びとに、
 ぜひこの事実を伝えたい。
 日本初演の背景には、
 ドイツ俘虜と徳島の人びととの感動のドラマがあった。
 これは史実に基づく小説である。
 西洋音楽の最高峰、
 ベートーベンの「第九交響曲」の日本初演は、
 第一次世界大戦の最中、1918年6月1日のことだった。
 90年も昔のことである。
 演奏者は、指揮者(ハンゼン)もオーケストラも合唱団(80人)も、
 何と徳島県板東に収容された、ドイツ俘虜だったのである。
 そこには収容所長として類をみない敗者への心ある配慮、
 温情による采配を振るった
 松江豊寿という優れた人物がいた。
 その管理下で、阿波踊り文化の徳島の人びとが、
 ドイツ俘虜がもたらした西洋音楽の精華を受け入れていった。
 ドイツ俘虜はたくさんのコンサートを通して
 徳島の人びとと交流を繰り広げ、
 ついに、ベートーベンの第九交響曲全曲が演奏されるに至った。
 四国徳島、板東俘虜収容所での奇跡の出来事は、
 史実に基づき小説化され、いっそうの感動をもって、
 現代に蘇る。
単価 : \1,575 (消費税込み)  購入する/数量 :    
ご購入の流れにつていはこちら

【正誤表】
 本書の一部に、誤りがございました。お詫びいたします。
 次のとおり訂正いたします。

  P108 7行目「ひなが一日」を「ひがな一日」に訂正。
  P157 1〜2行目「ひきり立ち」を「ひとり立ち」に訂正。
  P218 10行目「ひなが一日」を「ひがな一日」に訂正。
  P219 2行目「あっことから」を「あったことから」に訂正。


■目 次

第一章  はじめて見るドイツ人 5

第二章  ドイツさんの音楽に魅せられて 51

第三章  板東の片田舎で 91

第四章  板東の町に『第九』の響き 143

       解 説   瀬戸武彦 217

       参考資料 220


●著者プロフィール

 木村 伸夫(きむら のぶお)

大阪に生まれ京都に育つ。
大学卒業後、大学図書館及び博物館の仕事に従事。
京都市在住。 
著書に、『ひだまりの樹陰』(MBC21京都支局すばる出版)、など。


【本書巻末の解説から、本書についてを抜粋して紹介】

解  説(抜粋)  高知大学名誉教授  瀬戸武彦

……本作品は先の分類でいえばフィクションといえるが、……作品には随所に、当時の日本の新聞や徳島及び板東の俘虜収容所新聞からの引用が見られる。内容から言えば作品のタイトルが示しているように、ベートーヴェンの『第九交響曲』本邦初演を作品の中心に据えている。
 しかしこの作品の特色は、中田明里という二十歳前後の若い女性を登場させたことにある。……作者木村伸夫氏の想像力、創作力が遺憾なく発揮されているといえる。
 また作者の創作かとも思われる俘虜の手紙を「紹介」することで、……第一次大戦の実相に触れることができる。……俘虜たちが何故音楽活動をしたのかという疑問もこの作品を読むと氷解する。
 この作品は……俘虜の肉声を伝えているといえる。特に『第九交響曲』演奏に至る経緯等については、……読者に、収容所内での『第九交響曲』演奏の意味と意義について教えてくれる。
 筆者は十五、六年前から中国の山東半島青島や第一次大戦時の日独戦争、更にはドイツ兵俘虜の研究を続けているが、第一次大戦時の日本におけるドイツ兵俘虜収容所は、世界史的に見て稀有な収容所といえる。その稀有な日本の十六ヶ所の収容所の中でも、……徳島と板東の二ヶ所の収容所は輝きを放っていた、といっても言い過ぎではないであろう。本作品を通じて、そうした側面を小説の形で提供してくれたことに本作品の意義があるといえる。


TOPに戻る