セアロの道−ガユーナ・セアロ*人の道の教え  CEALO'S MESSAGE
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  素波英彦・西岡一正 共著 上製本192頁  2007年1月18日初版発行 定価:1,680円(税込)

  ★電子書籍も発売中!
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  「まず、自分自身を愛しなさい」からはじまる慈悲と自立の教えを説きつつ、
 ミャンマーやカンボジア、スリランカへの人道支援、国際協力活動を自らの体で実践して見せる
 ミャンマー僧侶・セアロとはどんな人なのか?
 宗教を越えて、無神論者をも納得させるその教えの核心は何か?
 その指し示す道の先には何があるのか?
 どう関わればいいのかなどなどを、二人の著者が、それぞれのセアロ体験を書き綴った、
 セアロを知るための参考書。


【序章から抜粋(西岡一正著)】

 何に感動したかと言うと、とにかく、その生き様の凄さだ。
 色んな超能力に長けた方にはたくさん出会ったし、またたくさんいるようにも思えるのだが、特殊な能力もさるものながら、生き様が凄い。……自分の所有物と言うものがほとんどないという事である。かといって、セアロは決して禁欲は説いていないのだが、逆に、おおいに欲を持て、とも言われる。人がセアロを見てまず思うことは、多分、宗教者、上座部仏教のお坊様だと思うが、私にとっては、実践の人であり、教育者であり、治療家であり、ヒーラーのヒーラーであり、その道を説く人である。
 何がその道かと言うと、自立と言うものを説く。真我実現と言うところを人に指し示す人といえるだろう。それとユーモアのセンス抜群の、楽しい人。「くそ」が付く坊主が好きな人。前向きに生きる人が好きな人。そして、人に足らないものを与える人。宗教という枠を超えた方。縛られるもののない方である。
 セアロのダイレクトアクションを見ても、宗教、人種を、超越してしまっている。見て感じたところを、応援するのだ。それもかわいそうという立場でなく、自立しようとしているところを、応援しているのである。百聞は一見にしかず、まず、セアロを知ろうと思えば、ダイレクトアクションに参加することをお勧めする。

※お断り……本書は、ガユーナ・セアロについて解説したものだが、この内容を、セアロご自身はまったく検閲していません。
 本書の内容のすべては、著者が聞いたり、体験したことをまとめたものです。
 事実と異なることがあったとしても、セアロには一切責任がございません。すべては著者に責任があります。

   

カバー表 カバー裏 
 ISBN978-4-434-10237-0 C0011 \1600E
単価 : ¥1,600 (本体価格、消費税別)
数量 :   (クレジット・郵便振替・代引がご利用になれます)
●著者略歴
素波 英彦(すなみ えいひこ・ペンネーム)…1949年埼玉県生まれ。専門出版社で雑誌・書籍の販売と編集を経験後、1997年独立して出版社および編集プロダクションを設立、運営。精神世界、クラシック音楽、医療と健康などの分野で執筆。多田花外師の家相を継承、多田家相研究会主宰。著書に、『火水家相・鬼門の秘密』(住宅新報社刊)がある。特定非営利活動法人CEALOグローバル・ハーモニー・ジャパン賛助会員。

西岡 一正(にしおか かずまさ)…1954年、兵庫県加古川市生まれ。岡山在住。東洋医学療術院プレマ主宰。東洋医学療術師及び東洋医学療術師師範。中国山西省五台山南台寺院で伝授された『曹氏按摩一法一式』を由来とする中医整体技術を学ぶ。現在市内に二ヶ所の整体療術院を開業。ひとつきの内、半分ずつ地元と全国を回って整体の他、整体師の育成、想念治療、波動測定、養生学に基づく食を通しての健康のアドバイス、心身一如、心の問題のカウンセリングなどに従事している。特定非営利活動法人CEALOグローバル・ハーモニー・ジャパン賛助会員。連絡/東洋医学療術院プレマ(岡山市江並23-65-3 :086-277-1536 E-male:plema@jp.bigplanet.com、ホームページhttp://okayama.cool.ne.jp/plema/、モンパパ道の途中でブログ http://monpapa.exblog.jp/、養生ブログ http://youjou.exblog.jp/。

 まえがき

 ガユーナ・セアロは、ミャンマー仏教の日本人僧侶である。「セアロ」という呼び名で親しまれている。夏でも冬でも世界のどこに行こうとも臙脂の僧服を着ていらっしゃるのは、上座部仏教のお坊さんの戒律にしたがっているからである。いつも龍が彫り込まれた芯のある竹の杖をもち、比丘尼(尼僧)の亜弥迦さんを伴って世界各地を行き来(遊行)している。
 日本では各地で個人面談や講話会、断食瞑想リトリートなどが開催され、セアロに遭遇して魂の衝動を感じ、人生の生き方に大きな影響を受けた人は数知れずいる。
 セアロは僧侶の出で立ちだが、宗教という枠を超えたところで、人の道の真理を説いている。ひとつは自分自身の内面を見つめる道であり、もうひとつはダイレクトアクションによる国際協力支援活動への道だ。ふたつの道の方向はまったく違う。が、このふたつの道はセットで大きなひとつの人の道になることを、セアロは自ら実践して見せている。
 いったいガユーナ・セアロとは、どんな人物なのだろうか?
 本書はそんな素朴な疑問から、素波英彦と西岡一正が無理を承知で、各々の体験として、セアロとは何かに迫ろうとした。が、あまりにも荷が重すぎる仕事であったことをお断りしておく。
 原稿の内容は、セアロの検閲を一切うけていない。内容に間違いがあっても、セアロには一切責任がない。内容の不的確さや表現の稚拙さなどを含めて、すべてが筆者の責任である。
  二〇〇六年十二月 素波 英彦

 《目次》 
 まえがき 1

序章 セアロという人−その道を説く人(西岡一正)
   
第一章 僧侶ウ・サンディマの誕生−人生を仕事をやり尽くしたあとに待っていたもの(素波英彦)

 涙のわけ 12
 鳥の餌を売る子ども 13
 「ガユーナ・セアロ」という呼び名の由来 15
 六畳一間、東京近郊のアパートの一室 16
 度肝を抜かれた「大いにやりなさい」の一言 18
 「楽しんでやりなさい」という魔法のことば 19
 料理人のころ 21
 ミャンマーの聖地、チャイティオ・ゴールデンロック 23
 「もう一度来なさい」という幻の僧侶のことば 25
 僧侶ウ・サンディマの誕生 27
 東京とミャンマーを行き来していた修行期 30
 ダイレクトアクション・世界遊行の始まり 32
 ガユーナ・セアロのプロフィール 33
  <参考>・上座部仏教と日本の仏教 35
     ・アーシュラマ制度 36

第二章 セアロが語った思いがけないことば−「苦」も「楽」もいっしょ(素波英彦・西岡一正/共編)

 善いことではなく、正しいことをする 40
 正しい道と便利な道 41
 全託するということ 42
 ほんとうの奉仕について 43 
 自分にいま一番必要なもの 43
 慈悲と慈愛の奥深いニュアンス 44
 言い訳と「恥ずかしい」 44
 一瞬一生 46
 お金とモノと執着 47
 御布施と意識と行為 48
 男と女 51
 子共に対する接し方 52
 仏像と手のエネルギー  54
 気づきと評価 55
 脳と心と魂と肉 56
 脳が百パーセントオープンになるとき 57
 「苦しみ」「辛さ」「病」をも楽しむ 58
 苦しみと幸せの選択 60
 自分の実力は自分で評価する 62 
 病気を自分はどうしたいか? 63
 人のためではなく、まず自分のために 64
 病気から脱却するには? 65
 自分自身を慰める力 66
 まず、自分自身を愛すること 67
 「苦」と「楽」はいっしょ 69
 過去と未来 72
 人間が悟るということ 73
 「肉」と「魂」と「在るもの」 74
 神さえも証明を必要としている 76
 「肉」のレベル 78
 「無」「空」「絶対無」 79
 一人の幸せ 81
 人間を助ける精霊の役割と目的 81
 貪欲過ぎてもかまわない神への要求 83
 信じてきた神をとことん信じ切ること 84
 地獄も悪魔も人間の悪いエネルギーの問題 85
 精神世界は、現実世界からの逃避の場ではない 86
 神と瞑想 87
 「分かりました」ということば 89

第三章 セアロ、世界遊行の旅のはじまり−人道支援のための正しい人の道=自立に向けて(素波英彦)

 ガユーナセィティ寺院 94
 亜弥迦さんの働き 95
 賞味期限と有効期限 97
 ミャンマーの子どもたちとキャンディー和尚 98
 セアロの涙 99
 ブッダの教え 100
 セアロの教え 101
 「もっと欲をもて」と「欲をかいてはいけないよ」 103
 人を観て法を説く、対機説法 104
 セアロの過去生のうわさ 105
 慈愛の聖者と慈悲の行い 107
 宗教は嫌い 109
 必要な戒律は、「盗るな」と「殺すな」 111
 ふしぎな数珠の話 111
 仏像を僧侶を三礼する意味 113
 真我を映す鏡? 115
 真我の声 116
 セアロ依存症候群 117
 私を崇拝してはいけない 119
 仏教とは、自分自身を見つめること 120
 ボランティアとブッダの教え 121
 プロセスを楽しむこと 122
 「思いが違う」という過ち 123
 人が歩むべき道 124
 魂の一歩 125
 ボランティア支援活動の功罪 126
 ミャンマーの交通事情 128
 タマニャ山への道 129
 子どもにも礼節を 131
 聖地タマニャ山の天国と地獄 132
 ふしぎな僧侶 134
 聖者ボーミンガウンの活躍 135
 ヒマラヤ聖者を彷彿とさせる聖者の世界 137
 ブッダガヤでの三週間の断食・瞑想 138
 いま世界に必要な優先順位 141
  <参考>・仏教とは「無常」という真理の教え 143
     ・「苦」と「執着」 143
     ・「有無」と「中道」と「空」 144
     ・上座部仏教のヴィパッサナー瞑想法 145
     ・悟ったあとに待っているもの 145

第四章 セアロとの対話−真我=魂の望みにしたがって治療への道を学ぶ(西岡一正)

 セアロとの出会い 150
 一筋縄ではいかないセアロのイベントの凄さ 150
 セアロの公正さ 152
 見抜かれた問いかけ 153
 「おまえは門を叩いているが、入っていない」  155
 本当はどうしたいの? 160
 エネルギーの差し向け方  163
 「瞑想も呼吸法も気にするな」  168
 「心臓の筋肉を、自分の意志で動かせ」 173
 ノウハウではなく、人を救うのは愛 174
 「百パーセント全託しなさい」 178
 ボーミンガウンの言葉 182
 二〇〇四年二月のハートエキスポを振り返る 183
 自分の真我を頼りに歩む、自立 189

 あとがき 190


 あとがき

 この本はセアロという方について、素波英彦と西岡一正の感じた、味わった、セアロをご紹介したものです。私が担当した第四章の「セアロとの対話」は、私の「西パパのセアロ体験ブログ」
(http://chigen.ddo.jp/~donation_mall/topics-nishipapa/topics.cgi)から編集をして掲載しました。この当時のことを思い出すと、赤面の気持で一杯です。でも、「はじめはみんなそんなところから始まるんだよ」という意味で、恥を忍んで掲載させていただきました。
 セアロはその人その人に合わせてお話しされます。私もいろんな場面で、お話しを聴ける機会に恵まれた一人と思います。ある時は一人で、ある時は日本の坊様たちと、ある時は、スリランカの坊様と。各地の講話会、リトリートなどなど、その時々で話される内容も深さも変わってくるのです。何をお伺いしても泉の如く、答えが沸いてくるのです。
 これをご縁にセアロに出会われた方、今進行形で味わっている方がおられると思います。それぞれの方がその人なりにセアロを感じて欲しいと思います。そして、セアロが言われている、自立の道を一人でも多くの人が歩めるよう心から祈ります。「それでは、私はどうする?」というところに立って、もう一度自分を省み、歩んで行きたいと思っています。
 日々世界を駆け回り、恵まれない、しかし、自立しようとしている子供たちに私たちに代わって届けてくださっている、セアロ、亜弥迦さんに感謝の念で一杯です。その歩みの凄さ、妥協のない慈悲心、最高に有意義に、みんなの愛を、伝えるべきところを人に届けてくださって、ただただ感謝の念で一杯です。
 セアロの凄さは、何といってもご自分で実践されるダイレクトアクションだと思います。凄いことを言われる方はたくさんいます。しかし、それをご自分の体をもって示される方は、なかなか見受けられません。マザーテレサはそのお一人だったと思います。
 セアロのお言葉で、「悟ってそれからどうする?」というのがあります。ある僧籍をもたれた方がセアロに論争を挑んで来られたとき、その方が立派なことを言われた後、セアロは一言「それで?」と言われたそうです(「それであなたは何をしてる? どうするの? 理屈は分かったけど、あなたはその理屈を言いに来たの? それともその後どうすると言いたいの? 何もしないの? してないの?」と言ったのではないかと思われます)。その方は絶句して何も言えずに帰られたそうです。
 実践の人。そこにセアロの凄さを感じ、セアロにお会いできたことを感謝し、尊敬してやまない私です。
 この本がこれからセアロに会われる方たちの参考書の一つに成れば幸いです。
   二〇〇六年十二月 西岡 一正(西パパ)

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