愛と慈悲のガユーナ・セアロ......[ミャンマーの日本人大僧正・陽月院和尚の魂にふれる言葉] 
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  寺岡可江著 四六判上製本248頁 2001年6月8日初版発行 定価1,680円(税込)
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ミャンマーの上座部仏教に日本人の大僧正がいた。貧しい孤児などの子供達を助け、心の平安と真の癒しを待っている現代人に慈悲を施し、ミャンマーと日本からアメリカにまで活動を広げ、絶大な人気で世界に待望されているガユーナ・セアロとは?

★関連リンク/ガユーナ・セアロの支援サイト http://www.chaitio.com


ISBN4-434-01063-8 C0015 \1600E

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 まえがき

私は、これまで永いこと、心の平安を求めてさまよっておりました。
あるときは、気功に、またカラーパンクチャー、ブリージング、ロルフィングとさまざまなことを体験してまいりました。アーユルヴェーダをかじってみたり、フランスの耳鼻科医の開発なさったこころも癒されると言う有名な聴覚療法もやりました。カウンセラーの資格もとり、フランスの本部も訪れ、博士にもお会いし、ドイツのセンターも見学し、こころの癒しのためにセンターまで開設しようと計画までしておりました。
そんなこんなの私にとって、一番のこころの先生はコズミックアーティストの足立幸子さんでした。でも彼女は早々と若くして、星の世界に旅立ってしまいました。いまでも折に触れいろいろとサポートはしてくださっていますが……。
落ち込んでいた私に、そんな幸子さんからの嬉しいメッセージを突然届けてくれたのは、当時は名も知らなかった一人の画家、陽華さんでした。今では一番の親友の陽華さんが紹介してくださったのが、私の人生を大きく変えて楽しい人生にしてくださった陽月院和尚さまです。
私がはじめて和尚さまにお会いしたのは、二年前でした。とっても緊張して、おうちの前を、約束の時間が来るまで二十分くらい行ったり来たりし、約束の時間ちょうどにドアをノックしました。緊張しまくりの私を、いまでも変わらぬ、とってもやさしい暖かい声で和尚さまは迎えてくださいました。
「何が言いたいのかね」
「すべてお見通しでしょうから……」
「自分で言いなさい」
そんな会話で始まりました。そしておよそ一時間、胸が一杯になり大粒の涙をいっぱい流して、その日は放心状態で和尚さまの家を出たのを記憶しています。
和尚さまはミャンマーのセアロ(高僧)でした。その正式名はウ・サンディマ。今日では、ガユーナ・セアロと呼ばれています。私は、先般セアロに連れられてミャンマーの聖地を旅することができました。チャイティオやパガンでのそれは、全く奇跡の旅となりました。どんなことがあったか、私が見て体験した一端を広くみなさまにご紹介するとともに、ガユーナ・セアロの懐の深い愛と慈悲をお伝えしたい一心で本書の筆をとりました。少しでもみなさまにそれを感じていただければ幸いです。


●著者プロフィール
寺岡可江(てらおか よしえ) 
岡山県生まれ。
1979年生活雑貨1号店をオープン。
1991年足立幸子さんと出会い、翌年、幸子ブランドの商品を手がける。
1998年足立幸子ショールームをオープン。
1999年陽月院和尚さまと出会う。
気の流れを整える事によって自然治癒力を高める東洋医学療術の資格を取得。
2000年心と身体の癒しと安らぎのスペース、ワールドハーモニー・テラ、自然食レストランとショップ「プチメリット」を岡山にオープン。


序……ガユーナ・セアロは聖地チャイティオで誕生した

 ミャンマーの首都ヤンゴンから東北方向、車で数時間ほどのところに、チャイティオという山の上の聖地があります。ここには、直径八メートルほどの巨大な丸い岩が、金色の光を反射して断崖絶壁の上にいまにも落ちそうな状態で、ほんとうに存在しています。
 これが有名なゴールデンロックです。その名のとおり金色に輝いているのは、人間が祈りのために金箔をずっと張り続けてきたからなのです。この丸い岩は球体状ですから、下の岩場と接しているのはほとんど点というに近く、人が押したり、大風が吹いたりすると揺れます。しかしいまだかつて落ちたことはなかったという。すでに千数百年もの間、いまにも落ちそうな状態でこのバランスを保ってきたのです。
 ゴールデンロックの上には仏塔が立てられています。パゴダなのです。ここにはお釈迦様の髪の毛が数本納められているそうで、この巨岩がバランスを絶妙に保っているのは、ブッダの頭髪のせいだと信じられています。
 いい伝えによると、この巨岩はかつては地上に浮いていたという。浮いてここにやって来たそうです。そして当時はずっとそこに三十センチほどの高さに浮いて存在していたそうです。しかし人間がこれに金箔を張るようになり、業を置いていくようになってだんだんと下に沈んでいまのような状態になったといわれます。もう一つ不思議なことは、一九七五年にこの地方に大地震があった時、ゴールデンロックは再び浮上したといわれます。ゴールデンロックは、大地震でもころがり落ちることはなかったのです。
 そんな不思議なものが存在する聖地でのこと、それは一九九五年春のことでした。
一人の日本人料理人が再びこの地をの訪れたのは−−−。
 彼はかつて一度、観光でここに来たことがあります。がその時は、お寺に御布施をすることもなく山を下り、ヤンゴンに帰ってから、不思議な体験をすることになります。
彼がヤンゴンのホテルでくつろいでいた時のことでした。あろうことか、ホテルの部屋の床の下から、一人の僧侶が湧き上がるように現れて、三つのことを言ったのでした。
「もう一度来なさい。御布施をしなさい。そうするとすごい力が付いて、人気者になるよ」
そんなことを告げて消えたのでした。もちろん目の前に起こったことを、素直に信じたわけではありません。幻の僧侶でも見たのだろうと思い、忘れたそうです。この時彼は、料理人として仕事でここに来たのでした。それが最初のことだったのです。
 帰国すると間もなく、今度はインドの聖者のアシュラムに行くことになりました。聖者のところに行ったのは、信じていたからではありません。友人に誘われて断れなかったからに過ぎなかったのです。彼は一介の料理人でしたから、宗教にも精神世界にも興味を持っていたわけではなかったのです。聖者を疑ってすらいたと言います。
 聖者に会うには、三千人くらい入れるアシュラムに入るのですが、順番に入るために二十六通りの番号札があり、そこに並んでくじ引きで順を決めます。彼はその時、滅多に引けない一番を五回連続で引きました。それでも聖者を信じなかったという。最後に、くじを引く時に、「あなたがもしも神ならば、一度も一番が引けなかった友人が一番を引き、自分は二十三番を引かせてくれ」と念じました。するとそのとおりになりました。
 こうして、二十三番でアシュラムに入りました。が、それは聖者に会うには遠過ぎる場所でした。ところが、ふつうなら絶対来ない二十三番の彼の横に、突然に聖者が現れたのだそうです。それで彼は急いで立ち上がり、衝動的に英語でこう言ったのでした。
「残りの人生、世のため人のために私を使ってください」
 それはあまりにも突然に自分の横に聖者が現れたので、びっくりして何か言わなければいけないと思い、とっさに口を突いて出たことばだったのだそうです。
 それから日本に帰ると、またミャンマーに行かないかという話がありました。その時に、ヤンゴンのホテルで見た幻の僧侶が、「もう一度来なさい。いいことがある」と言ったことを思い出したそうです。彼が再びミャンマーの地を踏み、聖地チャイティオの山のお寺に登ったのは、インドの聖者を訪れた時から二週間後だったそうです。
 そしてこの時が、彼のこれまでの人間としての退っぴきならない最後のステージとなりました。彼は、ミャンマーで得度をしてしまったのです。
 山頂の寺には、高僧、ウ・パンノア・セアロがおられ、彼に向かってこう呼びかけました。
「よくきたね。待っていたよ」
 もちろん彼はそのことをまったく知りませんでした。が、高僧は、彼が来ることを知っていたという。そのことをインドの聖者から聞いたというのでした。
「そんな不思議なことが……」
 インドの聖者が、ミャンマーのこんな山奥のお寺の僧侶に彼のことを伝えるはずがありません。どうしてチャイティオの山頂の高僧、ウ・パンノア・セアロは、彼を見て「待っていたよ」ということができたのでしょう。それは、インドの聖者から聞いたのだという。インドで聖者に会った最後のダルシャンの時に、自分の人生を聖者にゆだねたことがその時そこで実現しようとしていたということだったとしか考えられません。インドの聖者とチャイティオの高僧が、電話や手紙でやりとりすることはありません。ましてインドでは数千人のダルシャンのなかの一人の日本人にすぎなかった彼の情報が、どうしてミャンマーの山奥に届いていたのでしょうか。それに、どうしてそれはミャンマーの上座部仏教だったのでしょうか?
そこにはインターネット以上の特殊な情報網を使う技術があるとしか考えられません。聖者や高僧といわれる人たちには、このような特殊な情報網をいまも自由に活用しているのではないでしょうか? シュタイナーなどによると、アカシックレコードという情報系があると言いますから、おそらくそういう類の領域に属する世界のことなのでしょう。
 彼は、前回あのヤンゴンのホテルで見た幻の僧侶が言ったように、もう一度ここに御布施をしに来たに過ぎませんでした。それなのに、いきなり「待っていたよ」と言われて、悪い気はしませんでしたが、事情がよく分からないまま、僧侶に促されるまま、彼はそこで着ているものを脱がされて、ミャンマーの僧服を着せられ、真言を唱えさせられました。
 それはいままで一度も聞いたことも唱えたこともない真言でしたが、その真言をきちっと唱え終えたのは、他の僧侶と同時だったということで、このうわさがあっと言う間に山の下までとどいたらしいのです。そして彼に与えられた僧名は、「ウ・サンディマ(U SUNDIMA)」でした。
 ウ・サンディマとは、太陽と月の寺という意味です(後に彼は日本名を「陽月院」と名乗り、「ガユーナ・セアロ(GAYUNA CEALO)」とも呼ばれることになります)が、まだこの時に彼は、ずっと「ウ・サンディマ」でいることを決めてはいませんでした。
 彼は、臙脂の僧服を着たまま下山しました。すると、誰もかれもが跪いて彼を仰ぎ見るのです。びっくりしたそうです。自分にもなぜなのか理由がよく分からない。けれどそれは、気分が良いことではありました。
 途中までいくと、跪かない人がいました。周りの人々はみんな座って彼を迎えるのに、その人は立ったままでした。彼はどうしてかとその人に近づきました。
 その人は、歩けなかったのです。「歩けるようにしてほしい」というのでした。
 彼は、自分にそんなことができるとは思っていなかったのですが、そう頼まれてはそのまま立ち去るわけにいかず、「神様、お釈迦様、聖者、何とかしてください」と祈って、その人の足に触れました。
 すると、あろうことか? 歩けるようになってしまった……。
驚いたのは、じつは彼自身でした。
「こんな力が自分にあるなんて……」
呆然として、僧服を着た自分自身を改めて見つめ直すこととなったのでした。
 こんなことがなければ、彼は下山したら僧服を脱いで、ジーンズとTシャツに着替えて日本に帰り、そのことは単なる土産話になっていたはずです。しかし、この時以来彼は、僧服を脱ぐことができなくなってしまいました。ミャンマーの僧侶になってしまったのですから。
ウ・サンディマ(後のガユーナ・セアロ)がこの時誕生したのです。


●目 次 
    まえがき……1
    序…ガユーナ・セアロは聖地チャイティオで誕生した ……7
    
 第一章 セアロからの思いもよらないギフト・陽月院和尚との出会い
    
    マヌーハ寺院での天からの贈り物 ……16
    ただ懐かしい気持ちで涙が止まらなかった時のこと ……18
    足の悪い人が氣の手当で治ってしまった驚き ……20
    捕虜の王様の想いを慈しんだマヌーハ寺院 ……22
    私が心底ほしかったマヌーハ寺院の大仏のお写真 ……26
    真我のブッダ像が待っている仏教遺跡の宝庫=パガン ……30
    黄金のパゴダが光り輝くミャンマー ……33
    ミンガラドン町のあたらしい寺院 ……35
    陽月院和尚さまとの出会い ……39
    縁を陰からとりもってくれた足立幸子さんと陽華さん ……41
    東京・久我山のお寺は六畳一間……46
    自然食レストランオープンの応援をいただいたこと……48
    大人気になった和尚さまのカウンセリング……53
    親に抱かれた記憶がない娘の涙……55
    マリアの慈愛とブッダの慈悲……59
    最も深く愛された想いを蘇らせることの意味……61
    メッセージは自分自身を愛しなさいということ……65
    セアロの半生と愛の源泉……68
    真我への愛の気づき……73
    
 第二章 ミャンマーを慈しむセアロ・黄金のパゴダと無垢で明るい子供達
    
    ヤンゴンのダウンタウンで小鳥の餌を売る少年……80
    ヤンゴンの菓子専門店でキャンディーを買うセアロ……83
    ミャンマーの聖地チャイティオ……86
    かつては宙に浮いていた?不思議なパゴダ・ゴールデンロック……89
    前例がない「待っていたよ」と迎えられた山頂での得度……93
    奇跡が起こるセアロの周辺……96
    貧しい子供たちへのキャンディーのプレゼント……99
    日本の仏教と違うミャンマーの上座部仏教……102
    生活のなかに仏の教えが生きているミャンマー……106
    子供への慈しみの仕方……109
    キャンディーでも宝物になる孤児院の子供達……113
    
 第三章 セアロが語った神に近づくことば・今日を楽しみ、今満足するために
    
    すべてを神に全託して今の一瞬を楽しむこと……118
    使われていなくても退化しない人間の不思議な脳の意味……120
    現代人までの進化を促した前頭葉と左脳の発達……121
    今の若年層に起こっている左脳から右脳へのスイッチ……124
    右脳で感じて左脳で行動する時代……126
    全脳を使える人間が、全能の神に近づく……129
    楽しく生きるには、まず五感を満足させること……130
    完全な人間になる鍵が右脳の活用……132
    右脳を使えばできるモーツァルトを凌駕すること……133
    「苦しみ」、「辛さ」、「病」が楽しいということ……136
    苦しみと幸せの選択……139
    自分の実力は自分で評価すること……142
    身体の病気はどうありたいかという魂の問題……144
    病から脱却するには、生き方の過ちに気づくこと……146
    人のために生きようとする病人の偽善……148
    自分自身を愛するということ……150
    子供達に対する愛し方と接し方……151
    善いことではなく、正しいことをするということ……154
    正しい道と便利な道……156
    今日最後と思って「苦」を楽しんだらそれが解脱……157
    教祖も宗教も必要なくなる真我の目覚め……161
    幸せの妨げになる自分でつくった許容点……163
    人生は「苦」ではなく「楽あれば楽あり」が本物……165
    結果は執着するものではなく後からついてくるもの……169
    人間は老いることなく一千年以上生きることも可能……171
    地球の想いは人間がもっと地球上の生活を楽しむこと……174
    守護神に守られている人はまだ未完成……176
    人間を助ける精霊の役割と目的……178
    貪欲過ぎてもかまわない神への要求……182
    信ずる神をとことん信じ切ること……185
    人との比較ではなく、昨日と今日の自分の比較を……186
    地獄も悪魔も人間の悪いエネルギーの問題……188
    精神世界を満足するには、まず現実世界を満足すること……190
    ヒーリングにおけるカルマのバランス……192
    ブッダもイエスも肉を持って神を知った人間……194
    神にふれ、瞑想に赴く楽しみ……195
    
 第四章 私の魂をふるわせたセアロのことば・平安に至るための慈愛と慈悲の響き
    
    「楽」と「楽しみ」のことば……201
    自己を観ることば……203
    自己を磨くことば……205
    悩みを克服することば……208
    幸せになることば……211
    私自身の胸元に届く愛のことば……214
    愛と慈愛のことば……217
    神にふれることば……218
    魂のコアに響くことば……220
    
 第五章 私に愛と楽しみを与えてくださった・今、世界が待っている慈悲のセアロ
    
    セアロが私を導いてくれた時の愛の思い出……224
    セアロの魂が込められた自然食レストラン「プチメリット」……226
    ミャンマー旅行で出会った「サンダーウ」への想い……234
    アメリカへの足がかりを作った、幸子さんの英訳本……236
    目には見えない何かが動き始めている世界への胎動……239
    すでに世界が待っている、セアロの新しい慈悲の旅の予感……241
    
    あとがき……247


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