コーリング・アイアム−−“私は誰?” 全てはこの謎めいた旧友の遺言から始まった。 

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  蓮村誠…文/葉祥明…写真、 B6変形200ページ 2004年11月19日初版発行 定価1,680円(税込)
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 「私は、誰?」全てはこの謎めいた旧友の遺言から始まった……と展開する、人生という夢からの目覚めを描いた小説。「コーリング」とはある存在からの呼びかけのこと。現実と心の世界の狭間で問いかける主人公が、悟りを成就するまでのプロセスを、絵本作家として著名な葉さんの貴重な写真を交えて描いた小説。
 日本を代表する女優の岩下志麻さんが、本書の帯のために、こんなメッセージを寄せてくださいました。



【岩下志麻さんからのメッセージ】
「この作品を読んで、私は心が癒されました。人間の心の苦悩が喜びに替わり、愛に満ちた人生を送れたら、どんなに素晴らしいことでしょう。」


 

ISBN4-434-05225-X C0095 \1600E

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●プロフィール

蓮村 誠(はすむら・まこと)−文
 1961年生まれ。医学博士。
 1987年に東京慈恵会医科大学卒業後、神経病理学を専攻し、その間にTM(超越瞑想)に出会う。現在はマハリシ・ヴェーダ医療と呼ばれる、生命の全体性を重要視する自然医学を行うマハリシ立川クリニックの院長を務め、診療に携わっている。
 著書(蓮村奮)に、『いのちの治療』(総合法令出版)、『生命礼賛』(総合法令出版)、『ファンタスティック・アーユルヴェーダ』(知玄舎)などがある。

葉 祥明(よう・しょうめい)−写真
 1946年、熊本生まれ。
 1972年『ぼくのべんちにしろいとり』(至光社)でデビュー。以後、地球上のあるゆる問題を題材に絵本創作、講演など幅広く活躍。
 1990年『風とひょう』(愛育社)でイタリア・ボローニャ国際児童図書展グラフィック賞受賞。1991年郵政省『かもめーる』にジェイクが採用される。1997年『イルカの星』(佼成出版)で北海道けんぶち絵本の里大賞受賞。『地雷ではなく花をください』(自由国民社)で日本絵本読者賞受賞。
 主な作品に『森が海をつくる』ジェイクシリーズ、『あの夏の日』(自由国民社)、『心に響く声』シリーズ、『ぼくははちぞう』シリーズ(愛育社)、『イルカの星』『ひかりの世界』『クジラの海』(佼成出版)、『おなかの赤ちゃんとお話ししよう』『生まれた赤ちゃんとお話ししよう』『生んでくれて、ありがとう』(サンマーク出版)がある。


◎目次

   プロローグ 4

   前編 
     始まり 9      
     繋がり 19
     広がり 35
     深まり 49
     静まり 61 
     温もり 73
 
   後編 
     発 症 89
     支 援 107
     離 別 123
     純 化 141
     解 放 157
     永 遠 173

   エピローグ 188
   あとがき 192
   発刊に寄せて(葉祥明) 198 


プロローグ


 私の名は溝口修一。年は五四歳で、プラスティック容器のメーカーに勤め、現在は総務部長を任されている。
 生来の生真面目な性格から仕事は丁寧であったが、人との競争となると苦手意識が強く、そのためか社における評価は常に低く目立たない存在だった。そんな私は、昇進も遅れがちで、入社して二〇年近く経っても課長にすらなっていなかった。そんな私に変化が起こり始めたのは、今からちょうど一〇年前のことだった。

 私は、私と私を取り巻く環境に起こった一連の変化を、親しみと畏敬の念をこめて「コーリング」と呼んでいる。コーリングとは、英語の Calling のことで、私は何者か≠ノ呼ばれ、そして私が呼びかけたことで、今在るところにまで辿り着いた。
 今の私は、かつて抱えていた不安や緊張から完全に開放され、限りない心の平安と喜びに満たされ、また多くの知恵を授かった。
 私は、コーリングを通じてその何者か≠手にすることができた。その何者か≠ヘ、私を最小の努力で最大の結果へと導き、生きることは困難ではなく至福であり、幸福の拡大なのだということを実感させてくれるものに他ならない。
 私は、自分の身に起こった出来事の数々をぜひ多くの人に知って欲しいと願うようになった。なぜなら、コーリングは、全ての人に起こり得ることであり、私が手にした、その何者か≠あなたも手にすることが出来ることを私は知っているからだ。

 私に限らず、幸福になりたいという願望は誰もが持っているに違いないが、必ずしもそれを実現できるとは限らない。恐らく、そう多くない一部の人だけが自身の人生を本当に幸福なものにすることができ、それ以外の人々は、「自分には何が足りないのか?」、「何をどう努力すればいいのか?」と自問しながら苦闘するが、結局は答えを出せずに諦め、そして力尽きて一生を終えるのではないだろうか?
 もし、あなたがまだその答えを見出せていないのであれば、この本に書かれてあることが、そんなあなたの疑問に答え、幸福に向かっていくヒントや力を与えてくれることだろう。そして、あなたのかけがいのない人生が、障害と苦痛に満ちたものから、大きな喜びと限りない可能性に満ちたものへと変わることは、決して難しいものではないと知ってもらえたらどんなに嬉しいだろう。あなたの心の苦しみや悲しみが除かれ、代わりに安らぎや穏やかさ、そして豊かさで満ちていき、あなたの日常が笑顔で彩られ、日々愛が広がる生活を送れたとしたら、どんなに素敵なことだろう。

 私は決して特別な人間ではなく、ごく普通のどこにでもいる男である。その男の経験したわずか一〇年間の軌跡が本書には記されており、ありふれた会社員の男がどのようにして、その何者か≠手にしていったかを綴った手記である。
 その何者か≠ニは、まさに本当の幸福を手にする鍵であり、すでにあなたはもう、その鍵に気がついているかもしれないし、あるいはまだかもしれない。いずれにしても、あなたがその鍵を手にする日はそう遠くはないだろう。なぜなら、この本を手にした瞬間から、あなたのコーリングは始まっているのだから・・・



あとがき


 本書は、一人の中年男性が、余命半年と診断された古い友人からの一言で人生の転機を迎え、その後一〇年の歳月をかけて成就していく様を描いた物語です。
 本書は大きく分けて二つのテーマから構成されています。一つは、前編で扱った「静寂との出会い」であり、二つ目は後編で綴った「静寂との統合」です。
 まず前編で、主人公溝口は、井上の遺言であった「私は誰?」という問いかけを通して、それまでごく平凡な人生を送ってきた自分の人生が、社会と言う外因によって動かされ、ほとんど無意識のうちに生きてきたことに気が付いていきます。そして、自身の人生を見つめ直し、本当の自分、すなわち「私」の本質を自身の内側に求めるようになっていきます。やがて溝口は瞑想と言う手法に巡りあい、「私」と言う個人を形作る個性や人格を超えた普遍的な本質との遭遇を果たし、生きるということが、このレベルから創造されていることを知ります。
 しかしこの段階において、まだ溝口は、本当の自分を生き始めたばかりの状態であり、自分の源から生きることが、どんなに喜びに満ちたものであり、安らぎと幸福に溢れたものであるかを経験し始めたばかりだったのです。そしていよいよ後編では、溝口の内側の静寂が、外界における実生活においても目覚めていきます。溝口は瞑想という技術によって自らの内側にある静寂を体験しながら、日常では意識を外に向け活動に没頭します。そんな溝口を待ち受けていたのは、予想もしなかったストレス解消と呼ばれる現象でした。それは溝口にとってとても辛いものではありましたが、様々な支援を受けながら自らの進化の方向、つまり外側と内側の統合に向けて進んでいきます。やがて瞑想中にしか維持することが出来なかった純粋意識の体験を、外に向けて活動をしているときにさえ(日常の目覚めのとき、夢を見ているとき、そして熟睡しているとき)、体験し続けることができるようになっていきます。こうして、溝口は過去生で井上と交わした約束(真の自己に目覚めること)を果たし、この世にあって永遠を生きる生命へと自らを進化させたのです。

 ここで、本文の内容について若干の解説を加え、読者の皆様のご理解を深めて頂きたく思います。
 まず、本書に登場する固有名詞は全て架空のものですが、それぞれにモデルとなる話があります。例えば、前編の第二話に登場する高速道路での体験や、主人公の姪が言った「み〜んないっしょ!」は実際にあった話ですし、本書に登場する瞑想法も、著者自身が一〇年以上実践しているTM(Transcendental Meditation 超越瞑想)をモデルにしています。ここで注意しておきたいことは、瞑想中の体験は人によって様々であるということです。例えば、前編の第六話の中で、主人公が瞑想中に微かな想いが発生することに気がつきますが、これはあくまでも溝口個人の体験であり、また後編で主人公の持病である閉所恐怖症が頻発する様子が描かれてありますが、これもまた溝口個人の体験である、ということです。実際、瞑想を実践されている方の中には、ある一定の期間、その方が抱えている内的なストレスが解消されることがありますが、ほとんどの場合においては心配するようなことはなく、もちろん生命にとってより良いことが起こっているのですから、それによって身体を害することもありません。
 そして、大切なことは瞑想中の体験ではなく、その体験を超えた真の自己を経験し、そしてそのものになっていくことです。そのような理由から、著者は真の自己を習慣的に体験するための方法として自らの経験から瞑想という方法をモデルに選びました。
 また、既にお分かりとは思いますが、後編の第六話で登場する、本当の自分を思い出す≠ニいう表現は、過去生の記憶を取り戻すことを表しているのでありません。溝口の気づきの意識が、日常における拘束された意識(自我=私=jと、枠のない意識(大我=私そのもの=jの間を行き来することがなくなり、永遠に純粋意識の体験の中に確立された状態を指して言っているのです。
 そして、そのような意識に確立された人間は、心と身体のバランスが完全なものになるため病気になる可能性がなくなります。インドの伝承医学であるアーユルヴェーダ医学では、それを完全な健康≠ニ称し、医療そのものが不要な状態であるとします。第六話で、神谷医師が溝口の診察を行わなかったのは、溝口が完全な健康状態を獲得したからだったのです。

 全編を通し、著者のメッセージは井上が言った以下の一言に集約されています。
 「つまり、大抵の奴はそこに気がつかないまま人生を過ごすのさ。俺みたいに」
 私は誰? と問いかけてみてください。
 井上が言っています。
 「そうだな。今の俺には、それは全てに対して優先されるべきことのように感じるよ」と。
 自分が誰なのかを、見つけることはむずかしいことではありません。
 適切な方法さえあれば、誰にでも、簡単に見つけることができます。
 そして、あなたの人生で何が起ころうともあなたはそれを乗り越え、そして必ずいつか本当の自分へと到達することができます。
 あなたの行く手を邪魔するかの様に見える数々の出来事は常にあなたの過去からのものであり、あなたが進むための支援は常にあなたの未来からのプレゼントです。
 あなたの生命は、幸福に向かって永遠に成長し拡大し続けます。
 あなたが、いつも、いつまでも、至福と共にありますようにお祈りいたします。

 最後になりましたが、本書を出版するにあたりお世話になった方々への感謝を述べさせていただきます。
 葉 祥明氏。彼は、国際的にも有名な、絵本作家であり詩人です。本書に登場する数々の素晴らしい写真は、すべて葉氏自らが撮りためてきた千枚近い写真の中から選ばさせて頂いたものです。どの写真もみな静寂感に溢れ、読む人の心を癒し、そして深い静けさに誘うだけでなく、勇気や愛を与えてくれることと思います。
 株式会社ココロの代表取締役社長、谷川真司氏。本書はそもそも彼との出会いによって生まれたものです。前・後編を通し、彼とは幾度もミーティングを重ね、主人公のコーリングについて論じ、その詳細について検討しました。そして彼から数え切れないほどのインスピレーションを頂きながら本文を仕上げました。谷川氏のユーモアとひらめきがなければ、本書が出版されることはなかったでしょう。
 そして、知玄舎の小堀英一氏。「コーリング」の前編と後編を合わせて一冊の完結版を出版するに当たり、彼は豊富な経験や知識に基づき、写真と本文の構成から装丁に至る全てを見事に行い、私の理想を大きく上回る素晴らしい本に仕上げて下さいました。
 本書は文字通り各分野における右記三名のエキスパートによって出版することが出来ました。心からの感謝を捧げます。ありがとうございました。

   *参考図書―『超越瞑想入門』マハリシ・マヘーシュ・ヨーギー著、読売新聞社


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