●サイババ超体験ふたたび
――2011年から動き出したインド・ムッディナハリでの新事実 (2016年5月新刊)
西田 みどり
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■POD書籍 : \1,800 (消費税別)/(A5判168頁 ISBN978-4-907875-23-7)
2016年5月20日初版発行
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■電子書籍: \1,000 (消費税別)
2016年5月27日初版発行
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◎本書について
インドの聖者、神の化身として知られ、2011年に逝去後、微細体で復活し、ムッディナハリを拠点に活動を継続しているサティア・サイババの最新情報。
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・ | 本書はインドの聖者、神の化身として知られ、2011年に逝去したサティヤ・サイババの逝去後、新たにムッディナハリで展開している最新の状況を取材から書き下ろしたルポを第一部としてまとめ、第二部には著者が1994年に上梓した『サイババ超体験』(徳間書店)を大幅に改稿した最新刊。サイババについてその出生から背景、今も活発化している活動の全容を知ることができる、客観的な取材に基づく解説書です。2011年4月24日、サイババは肉体を離脱しました(享年85歳、インドで国葬)。しかしその直後すぐに、サイババはメタフィジカルな(目には見えない)サトル体=微細体=エネルギー体で復活し、存命中から行ってきた活動を継続的に指導していることが伝えられています。その活動拠点が、プッタパルティに近いムッディナハリです。本書は、存命中のサイババの計画が今も受け継がれ、復活したサトル体サイババの指導のもと、滞りなく進展している新しい動きをルポで伝えると同時に、サイババ・ブームが起こった1994年の状況を振り返り、あらためてサイババがこの時代の地球に登場し、存在している意味と意義を客観的に考え、見直すきっかけとなる格好の書です。 ◎底本:『同名書』知玄舎POD書籍2016年4月22日初版ISBN978-4-907875-23-7 (本書第二部は『サイババ超体験』徳間書店1994年11月30日初版ISBN4-19-850175-0を種本として大幅改稿)。 |
◎著者紹介
西田 みどり (にしだ みどり)
専門は近代日本比較文化史、文章論。文学博士。二〇〇六年、「『まこと』と『救世主』―久米邦武の比較文化論」で中外日報社・涙骨賞受賞。現在は芝浦工業大学、学習院大学、大正大学非常勤講師、エディター。
主たる著書に『〈型〉で書く文章論』『接続語を使えば誰でも書ける』『文章表現のためのワークブック』『脳トレ文章講座』(以上、知玄舎)、『抱きしめる聖者アマチの奇蹟』(徳間書店)、『聖母アマチの教え―ヴェーダの叡智』(知玄舎/改題新版)、『偉人・天才たちの食卓』(徳間書店)、『サイババ超体験』(同)、『今日と明日のへき地医療』(講談社/共著)、『日本近代化の比較文化的研究』(大正大学比較文化研究所/共著)、『近代日本の礎を築いた佐賀藩士――「久米邦武」と「佐野常民」の思想研究』(知玄舎POD)など。
●目次
まえがき(第一部、二〇一六年) 9
まえがき(第二部、一九九四年) 12
第一部 帰って来たサイババ ――――――――――――――
第一章 奇蹟とは何か 17
◎サイババの奇蹟とは物質化現象ではない 17
◎葬儀の最中に顕れたサトルボディ 20
◎サトルボディとの最初の出会い 21
◎なぜ八五歳で肉体を捨てたのか 24
◎あれは(葬儀は)単なるショーにすぎない 25
◎日本ではどう受け止められたか 26
◎現在のプッタパルティ 28
◎お供えしたパパイヤからコインが出てきた 31
第二章 サトルボディ 35
◎サイババの四つの体 35
◎サトルボディが見える人たち 36
◎謙虚な伝達者・マドゥスーダン 37
◎ムッディナハリはアシュラムではなくキャンパス 40
第三章 夢をつかうコミュニケーション 43
◎夢でサイババから指示を受けていたナラシマムルティ 43
◎「誰もがいつか必ず死んでしまうのに、生きる意味がはたしてあるのだろうか」 43
◎戻ってきた信仰 44
◎サイババのヘッドハンティング 46
◎「あなたはムッディナハリに行かなくてはならない」––夢で示された詳細な指示 47
◎サトルボディのサイババはどのようにして仕事をするか 49
◎なぜムッディナハリなのか 51
◎ムッディナハリの「文化祭」 52
◎グランマセバ――村全体をまとめて面倒見る 54
◎奇蹟とは何か 58
第二部 サイババ超体験 ――――――――――――――
第四章 いま、なぜサイババか 63
◎一九九四年インド・アシュラムで取材 63
◎日本人に好意的なサイババ 64
第五章 マスコミの中のサイババ現象 67
◎インドでサイババはどう見られているか 67
◎一九八四年の雑誌の分析 68
◎週刊誌はどう取り上げているか 69
◎プッタパルティを取材した糸井重里氏 70
◎ビブーティを貰った「スーパーテレビ」ディレクター 73
◎サイババ・ブームの火付け役は青山圭秀氏 74
◎ドクター中松、中沢新一氏ら文化人のサイババ観 75
第六章 二人のサイババ――サティヤ・サイババとシルディのサイババ 79
◎ブラムマニャーニ(悟った魂)と呼ばれた幼少期 79
◎両親の希望はエリート官僚になること 80
◎黒サソリに咬まれて生死をさまよう 81
◎サイババ宣言 83
◎「わたしは『サイ(神)』です」 85
◎シルディのサイババ 86
第七章 プッタパルティのアシュラムを訪ねて(一九九四年) 89
◎グループールニマ祭 89
◎ダルシャンで祝福を受ける 91
◎サイババとのパイプを感じるとき 95
◎肉体レベルでそばにいたがることへの疑問 99
◎受け取ってもらった手紙 100
◎サイババに呼ばれる〝インタビュー〟 104
第八章 サイババに点滴してもらった看護師 105
◎赤痢を治したサイババ 105
◎衝突したトラックとの間にオレンジ色の光 108
◎臨死体験でやってきた光の球 109
◎ニックネームは「必殺見送り人」 111
◎「マイ・チョイス」――わたしが選んだ 112
◎「リメンバー・ミー?」――わたしを覚えているか? 114
第九章 エチオピアで見た神 117
◎前生の最初のピース 117
◎前生で傷つけた人と今生で出会う 121
◎エチオピアで見た神 123
第一〇章 増えたお金とビブーティの効用 129
◎いつのまにかお金が増えている 129
◎サイババの教えの象徴〝ビブーティ〟 132
◎ビブーティ・ハウスというところ 134
◎物質化された五トンを超えるビブーティ 137
◎神域でビブーティに出会う 138
◎サイババを知らない人にもビブーティは効く 140
◎ビブーティで傷が治った 145
第一一章 帰国後に変化は起きた 149
◎日本に帰ってからのこと 149
◎サイババにお願いしたのに状況が好転しない人 153
◎サイババは一人一人と個別に繋がる 157
あとがき(第一部、二〇一六年) 159
あとがき(第二部、一九九四年) 163
まえがき(第一部、二〇一六年)
弘法大師空海が開いた高野山には不思議な習慣がある。
空海の廟である奥の院に毎日、桶に入れた水と手ぬぐい(午前四時)、その後すぐに朝食膳、食事が終わったころにお茶(御茶湯器が運ばれ抹茶と煎茶が間隔をあけて供えられる)、二度目の食事膳(午前一一時)といったものが供えられているのだ。さらに三日に一度は湯と水の入った桶二つ(入浴用)、夏には団扇、冬には火鉢と、あたかも空海が生きているかのごとく、日常生活に関するものが供えられている。高野山では空海が「目に見えない体」で生きていて、人々を助け続けていると信じられているからである。四国八八か所の遍路道を白い行者衣に身を包んで行脚するとき、「同行二人」と言われるのも、空海が遍路たちに寄り添って一緒に歩いていると信じられているためだ。これは入定留身信仰と呼ばれている。
空海が肉体を捨てたのは八三五年(承和二)三月二一日、空海自身が建立した密教寺院・金剛峯寺においてである。しかし、それは「死」とは呼ばれず「入定」と呼ばれる。入定とは、深い瞑想状態のことである。結跏趺坐して大日如来の印を結び、深い瞑想状態で息絶えた。目を閉じ、呼吸をしていないこと以外は、生きているときと変わらなかったという。
空海は「吾れ入滅せんと擬するは今年三月二一日の寅刻なり」(空海著『御遺告』)と自分で肉体を離れる時を予告し、そのとおりの時間に亡くなった。現代語に直すと「私が入定すると決めたのは今年三月二一日の午前四時である」ということで、『御遺告』には、続けて、百歳までこの世にとどまって仏教の教えを説くつもりだったが、それは弟子に任せて定に入ることにしたという。「もし私に会いたいなら、南無遍照金剛と私の名を何度も唱えるように」と指示している。
空海は大病をして高野山・金剛峯寺に籠ると、穀類を断ち、水を断ち、入定の準備を進め、最期は弟子たちの声明に送られて定に入った。高野山の僧侶も信者も大師の存在を信じて日々怠らず勤めている。
さて、サイババについて述べるのに、なぜ空海の入定留身信仰について長々と書いたのか。
実は、サティヤ・サイババの死後、インドでこの現象とよく似たことが生じているのである。サイババがサトルボディ(目に見えない体。説明は後述)で活動しているというのだ。そして、空海と同様にサイババの住居には、二人のサイ・スクールの生徒によって、毎日、食事が運ばれている。サイババのやり残した学校建設や病院建設も目に見える形で実現している。異なるのはサイババの肉体が見えないことだけである(一部に見える人もいる)。
本書は二〇年前に出版した『サイババ超体験』の改訂復刻版であるが、タイトルを『サイババ超体験ふたたび』として、サトルボディで活動している「サイババ」についてもルポしていきたいと思う。「聖者」と呼ばれる人でも、予定していた寿命の前に肉体を損なうことがあり、それでもやらねばならない仕事があるときは、このような方法を選択する。
サイババのやり残した仕事とは「教育」を通しての人間の変容である。それはサトルボディの「サイババ」の講話で繰り返し語られている。どのように変容させるのか。どうすれば変容できるのか、については、本書に詳しく書いた。また、肉体のない「サイババ」がどのようにしてやり残した仕事を実現していくのかも、ムッディナハリでいま起こっていることをルポすることでお伝えしている。それはまったく新しいかたちの「聖者」と「人間」とのコラボレーションなのである。
本書は二部に分かれている。
第一部は、ここまで書いてきたようなサトルボディで活動する「サイババ」についてだ。第二部は、時系列でいうと第一部と逆になるのだが、二〇年前にマスコミを席巻したサイババブームと、その渦中でサイババと出会い、「神なるもの」と交流した人々の体験談である。
わたしがこの本でテーマとしたのは、神とは何か、神とはどう働くのか、である。以上の三つの視点から「神なるもの」の一端が見えてくるのではないだろうか。