在庫切れ(100202)『アルパの調べと歌』−−パラグアイの音楽 

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  早川智三 著 A5判224ページ 2006年7月7日初版発行 定価2,940円(税込)
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 南米パラグアイの国民楽器アルパとその音楽。それはどのように形成され世界各地に広まっていったのか?
 往年の代表的作曲家やアーティストにスポットを当て、彼らの活動をエピソードを交えて紹介。
 さらにその華麗な響きに魅せられた日本人アルパ奏者についても紹介する。
 パラグアイ音楽の魅力とその背景を伝える日本で初めての研究書。

 (本書は在庫切れのため、増刷または電子書籍での出版を準備中です。お問い合わせは知玄舎まで)

   最近、日本でも演奏する人が増えている
 南米パラグアイのハープ“アルパ”。
 クラシック・ハープよりひとまわり小型であるが、
 そのきらびやかな音色と表現力に富んだ
 アルパに関する情報を満載。
 パラグアイの音楽はどのように形成され、
 そして世界各地に広まって行ったのか。
 フェリクス・ペレス・カルドーソ、サムエル・アグアージョ、
 トリオ・ロス・パラグアジョスなどのパイオニアを初めとし、
 パラグアイの代表的作曲家やアーティストにスポットを当て、
 彼らの活動をエピソードを交えて紹介。
 さらにその華麗なるアルパの響きに魅せられた
 日本人アルパ奏者についても紹介。
 パラグアイ音楽を愛好する人たちに
 その背景を伝える日本で初めての出版。 
ISBN4-434-08109-8 C0073 \2800E
単価 : \2,940 (消費税込み)   ★在庫切れ。購入できません購入する/数量 :    
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●著者略歴
 早川 智三(はやかわ ともぞう)
 1939年、埼玉県に生まれる。
 1963年、上智大学外国語学部イスパニア語学科卒業後、(株)日立製作所入社。
 1971年から1979年まで中米パナマ共和国の日立セールス・コーポレーションに勤務。
 その間同社家電品の販売のため中南米諸国を行脚。
 帰任後も同社の中南米諸国向けの国際業務に従事。
 1999年同社退職後はスペイン語の通訳・翻訳、中南米音楽の解説、執筆などを行う。
 現在さいたま市に在住。


 はじめに


 いつ頃パラグアイと言う国の名前が私の頭にインプットされたのだろうか。中学時代の社会科地理の時間には最初のインプットがあったのかもしれない。しかしはっきりと思い起こせるのは1959年大学に入ってからのことだった。「パラグアイの夕べ」と題した催しが四ッ谷の砂防会館であった。1960年だったと思う。講演と映画でパラグアイが紹介された後で、高橋忠雄氏のレコードによるパラグアイ音楽の紹介があった。戦後の日本はブラジル、ペルー、メキシコ、アルゼンチン、その他中南米に対する移民を復活していた。因みに、戦前の中南米への移住者はトータル24万5000人にのぼった。開拓者精神に溢れた人々が船で南米大陸へ渡って行った時代だった。
 この「パラグアイの夕べ」も移住を希望する人に少しでもパラグアイを知ってもらおうとした事前の勉強会のようなものだったと思う。私は音楽に興味があったので参加した。
 そして、耳学だけによるパラグアイを初めてこの身体で体験したのは1975年だった。当時はペルーの首都リマからLAP(パラグアイ航空)のターボジェット機でパラグアイの首都アスンシオンへ向かった。乗客50〜60名が乗れる小さな機体だった。リマ市を低く覆った灰色の雲をジェット機が突き抜けて暫くすると、もうアンデス山脈の上空を飛んでいた。このアンデス山脈を横切るのに何時間飛んだろうか、夕闇がせまった眼下に平原が見えてきた。そして機体が着陸体制に入り高度を下げて行くと、そこには密林、そしてヤシの木、その間に散在する小さな小屋、牛の群れが目に飛び込んできた。これが「秘境パラグアイ」とよく日本で言われていた国なのか、と感動したのを今でも覚えている。
 この「秘境」という言葉には人跡未踏の土地というイメージが強くいよいよそこへ第一歩を踏み入れるのだ、という未知の国に対する不安とまた同時に期待で胸を弾ませたものだった。当時の首都アスンシオンの人口は40万人位だったろう(この秘境という言葉は現在のパラグアイの実体を的確に表現しているかは疑問もあるが)。
 そして、着陸、タラップを降りこじんまりしたエアーポートのターミナル・ビルへ。電気蚊取機のバチバチした音、扇風機の回転音、飛交うスペイン語とグアラニー語、お土産を売る太ったおばさん、色鮮やかなニャンドゥティの品々、旅行者の手荷物に群がる子供たち。発展途上国の空港でよく見かける光景だ。首都アスンシオンのスペイン統治時代を想わせる町並み、年代を感じさせる大きな木々に両側を覆われた並木道、市のあちこちにある緑豊かな公園、色濃い南国特有の木々の花、日本では珍しくなった市電、黒煙をまいて坂道を走るバス、落着いた佇まいの洒落た家々、新旧混在した雰囲気には大きな活気を感じたものだった。
 これらは今から30年も前の話で、アスンシオンの国際空港は近代的なビルに変身、さらに町の様子も高層ビルが多く目につく近代都市に変わりつつある。



●目 次   

   出版に寄せて 駐日パラグアイ共和国特命全権大使 田岡 功 1

   はじめに 2

第1章 南米パラグアイの音楽とアルパ

 1.日本とパラグアイの友好関係 8
 2.パラグアイの音楽(概観) 10
  (1)ポルカ・パラグアジャ(パラグアイのポルカ) 10 
  (2)グアラニアとその生誕 13
  (3)カンシオンなど 17
 3.パラグアイの国民楽器アルパ 19

第2章 パラグアイ音楽の伝承と興隆

 4.パラグアイ音楽の先覚者たち  26
 5.「アルパ・パラグアジャの開祖」フェリクス・ペレス・カルドーソ 31
 6.「パラグアイのカルロス・ガルデル」サムエル・アグアージョ 36
 7.トリオ・ロス・パラグアジョス、ヨーロッパでの活躍 37
 8.カスカーダ(滝)の作曲者、ディグノ・ガルシア 43
 9.国際的なグループを標榜したルイス・アルベルト・デル・パラナ 48
 ◎ ノーツ1 「グアラニアのつぐみ鳥」アグスティン・バルボーサ 57
 ◎ ノーツ2 アベル・サンチェス・ヒメネスとのインタービュー 62
 ◎ ノーツ3 ブラジルに住むアルパ奏者、
オスバルド・ガオーナの活躍 67

第3章 パラグアイを代表する音楽家たち

 10.ドゥオ 74
  (1)メルガ−チャセ 75
  (2)ララメンディア−カセレス 76
  (3)バリオス−エスピノラ 77
  (4)バルガス−サルディバル 78
  (5)グルーポ・ボカル・ドス 79
 11.グループ(トリオを中心に) 80
  (1)日本をこよなく愛した、ロス・インディオス 80
  (2)ブラジルで活躍した、コンフント・フォルクロリコ・グアラニー 84
  (3)パリーに本拠を置いて活躍した、ロス・グアラニエス 86
  (4)日本に初めてパラグアイ音楽を伝えた、トリオ・グアラニア 87
  (5)ロス・カシーケス・パラグアジョス 88
  (6)ロス・アミーゴス・デ・アマンバイ 89
  (7)ロス・トレス・スダメリカーノス 91
  (8)ロス・トレス・パラグアジョス 92
  (9)ロス・ファブローソス・トレス・パラグアジョス 92
  (10) フェリクス・デ・イパカライと彼のパラグアジョス 94
  (11) ロス・トレス・デル・パラグアイ 94
  (12) ファン・B・モーラとロス・インドラティーノス 96
  (13) トリオ・パラナとロス・パラナス 97
  (14) ロス・メンサへーロス・デル・パラグアイ 100
  (15) ロス・トロベロス・デ・アメリカ 102
  (16) ロス・クンブレーニョス 103
  (17) ボレロを歌ったらパラグアイ・ナンバー・ワン、
     ロス・べモーレスとトリオ・デ・シエンプレ 104
  (18) ロス・トレス・アンへレス 106
 ◎ ノーツ4 アルパと共に六十年、エンリケ・サマニエゴの活躍 108
 ◎ ノーツ5 朋あり遠方より来る、パピ・バサルドゥアの想い出 113
 12.男性ソロ歌手 119
  (1)イラリオン・コレア 119
  (2)オスカル・メンドーサ 120
  (3)アニバル・ロベラ 121
  (4)リト・オルティス 122
  (5)マルティン・レギサモン 123
  (6)エドワルド・リーバス 124
  (7)ホセ・マグノ・ソレール 125
  (8)フリオ・セサル・デル・パラグアイ 126
  (9)ハビエル・バルガス 127
  (10)オスカル・ゴメス 128
  (11) マルコ・デ・ブリックス 129
 13.女性ソロ歌手 130
  (1)マルガリータ・ピルダイン 130
  (2)アマンバイ・カルドーソ・オカンポ 131
  (3)マリッサ 132
  (4)グロリア・デル・パラグアイ 133
  (5)べティー・フィゲレード 134
  (6)リッサ・ボガード 135

第4章 パラグアイを代表するアルパ奏者たち

 14.男性アルパ奏者 138
  (1)プルデンシオ・ヒメネス 139
  (2)サンティアゴ・コルテシ 140
  (3)アリスティデス・バルデス 141
  (4)アルビーノ・キニョーネス 142
  (5)ペドロ・ガマーラ 144
  (6)ロレンソ・レギサモン 146
  (7)アレハンドロ・ビジャマジョール 147
  (8)ルイス・ボルドン 148
  (9)ロケリーノ・インスフラン 149
  (10)アパリシオ・ゴンサレス 150
  (11)セサル・ダニエル・ロペス 151
  (12)リト・ペデルセン 152
  (13)セサル・カタルド 153
  (14)イスマエル・レデスマ 154
  (15)マルティン・ポルティージョ 156
  (16)マルセロ・ロハス 157
 ◎ ノーツ6 アルパ・パラグアジャ「魔法の手」、
        クリスティーノ・バエス・モンへス 159
 ◎ ノーツ7 メキシコでアメリカ大陸のアルパの融合を目指す
        セルソ・ドゥアルテ・ゴンサレス 164
 ◎ ノーツ8 「アルパ奏法の改革者」ニコラス・カバジェーロ 169
 ◎ ノーツ9 アルパのステイタス・アップを目指す
        マリアノ・ゴンサレス・ラミレス 179
 15.女性アルパ奏者 183
  (1)ネネキータ・カセレス 183
  (2)カルメン・ビジャルバ 184
  (3)ルビ・アダリオ・デ・バエス・モンへス 185
  (4)ラケル・レブロン 186

第5章 パラグアイを代表する作曲家

 16.クラシックからポピュラー音楽まで
   多岐に亘る作品を残した大作曲家、エルミニオ・ヒメネス 188
 17.「ガロぺーラ」の作曲家、
   マウリシオ・カルドーソ・オカンポ 192
 18.数々の名曲を書いた作曲家たち 195
  (1)エミリオ・ボバディージャ・カセレス 195
  (2)エラディオ・マルティネス 196
  (3)エミグディオ・アジャラ・バエス 198
  (4)デメトリオ・オルティス 199
  (5)ネネーコ・ノルトン 200
  (6)カルロス・ソーサ 201
  (7)オスカル・ネルソン・サフアン 202
 ◎ ノーツ10 現代のパラグアイ音楽界を支える重鎮
        フロレンティン・ヒメネス 203

第6章 日本におけるパラグアイ音楽

 19.パラグアイからの来日アーティストたち 210
 20.日本人アルパ奏者たち 212
 
 あとがき 217
 参考文献 221


 あとがき


 「中南米音楽」と一口で言っても、大小33カ国の独立国家からなる地域の人達がそれぞれ自分達の音楽を育んできたわけですから、その音楽は誠に多種多様です。アルゼンチンのタンゴは日本でも多くのファンがいて根強い人気があります。またメキシコ、ブラジル、キューバなどの音楽も日本人の間でポピュラーな存在となっています。従ってこれらの国々の音楽については日本でも今までに解説書や研究書も多く発行されてきました。しかしパラグアイのポピュラー音楽に関するまとまった書物がないこと、そして最近日本でパラグアイのアルパに関心を持つ人が増えていることが本書を書く直接的なきっかけとなったと言えるかも知れません。
 さらにもっと端的に言えば、パラグアイと言う国、そこに住む人々、風俗習慣に興味をもったこと、そして何よりもパラグアイ音楽が好きだからと言う個人的なことに他なりません。
 日本でアルパを実際に演奏する人口が増えてきており、ちょっとしたブームと言えるかも知れません。確かな台数は把握しておりませんが相当数のアルパが今や日本に輸入されている筈です。恐らくパラグアイ国内で販売される以上の台数が日本向けに出荷されていると思われます。しかし、すべての人がプロになることを目標に学んでいるわけではないと思います。いや殆どの人達は趣味として或いは楽器の目新しさに惹かれてアルパを学んでいることと思います。
 いずれにしてもこの日本におけるパラグアイ音楽、特にアルパへの関心を一時的なブームに終わらせることなく、今後ともさらに発展させて行くためにはどうしたら良いか。その結論としてはやはり本当の意味での良き指導者が育つことが重要と思います。そしてアルパを演奏する人達が聴き手をどれだけ満足させることができるかにかかってきます。アルパ奏者の音楽に対する直向きな努力、レベル・アップとともに人間的魅力も要求されます。演奏の素晴らしさもさることながら演奏者の人間性に惹かれて人は集まってくるものです。そして聴き手にまわる人々は熱し易くもあり冷め易いことを考えねばなりません。彼等には好き嫌いを言う権利、選ぶ権利があるからです。
 アルパは決して簡単な楽器ではありません。途中で挫折してしまう人も出てくるかも知れませんが、それをマスターした時に得られる満足感を期待して努力して欲しいものです。必ずや個人にとって素晴らしい音楽世界が開けてくることでしょう。同じように聴く方もパラグアイ音楽に対してより深い関心を持ち演奏者をバック・アップすることによって初めて永続的な発展が期待出来るものと考えます。
 このような時にこそパラグアイ音楽についてその背景にあるものを概観しておくことは音楽を本当に愛する人々にとって必要なことと思い本書を執筆することにしたのです。過去の文化的遺産の上に立って現在があることを私達は認識することが必要だと思ったからです。つまり、パラグアイのポピュラー音楽はどのように形成されてきたか、そしてどのようにして我国も含めて世界各地に広まって行ったか。パラグアイ音楽を支えその普及のために多くの作曲家やアーティストが如何に努力し活動してきたかを知って欲しいのです。そして出来るだけエピソードを交えながら述べることでパラグアイ音楽が持っている「華麗なアルパの響きと詩情豊かな歌の世界」を少しでも多くの人々に知って欲しいという願いから本書を書いたわけです。かの地に住む人々のメッセージを肌で感じることが出来るように本来ならばパラグアイ音楽の名曲を集めた音源を添付したかったのですが、それは別の企画で実現したいと思います。
 特にプロとして日本で活動する人々にお願いしたいことはパラグアイの国宝とも言える音楽を演奏する時に先人たちの努力に想いを馳せ敬愛の念をもって欲しいということです。そしてパラグアイ音楽を日本で普及さす努力をすることによって日本とパラグアイ両国間の友好関係に一役買って欲しいと思います。
 従って、本書はパラグアイ音楽を学術的に論ずることを主眼としたのではなく、私達日本人がパラグアイ音楽を演奏したり或いは聴いたりする時に少しでもその背景にあるものを知り、より良く理解していただくための手助けまたはヒントを与える案内書乃至は解説書に過ぎないと言うことです。また本書ではパラグアイのいわゆるクラシック音楽の分野やスペイン人入植以前に存在していた原住民の音楽については触れていません。どちらかと言えばパラグアイのポピュラー音楽について述べたものです。
 アーティストの紹介については、今でも音源を通じて聴くチャンスがあるか、あるいは現在活動しているアーティストを念頭において書いてみました。しかし過去の歴史を語る上でどうしても必要と判断したアーティストについては、現在では簡単に入手できない音源(LP、カセット)にも言及し、そのレコード・ジャケットや写真を掲載せざるを得なかったこともありました。そして彼等のレコードやCDの紹介に当たっては、いわゆる彼等のベスト盤にこだわることなく、出来るだけ本人の写真入りレコード又はCDを掲載するようにしました。これはアーティストのバイオグラフィーを知る時により一層親しみが増すと考えたからです。彼等がプロとして歩んできた経歴をまとめましたが、とてもすべてを語るものではありません。またそれらは言ってみれば彼等のサクセス・ストーリーを記述したに過ぎません。ひとかどの音楽家となるにはもちろん天賦の才能もベースにはありますが、その裏には音楽に対する弛まぬ努力と語ることの出来ない苦労が隠されていることは言うまでもありません。

 実を申しあげますと本書の出版を今から5年ほど前に計画しておりました。個人的な事情もあって今日まで遅れてしまいましたが、日本人のパラグアイ移住70周年という記念すべき年に出版出来ることになったことを大変嬉しく思っております。そして本書を書くにあたり、いろいろな人々にご協力をいただきました。
 特にLuis Szarnの執筆されたパラグアイ音楽辞典の中でアーティストの経歴などが紹介されていますが本書をまとめる上で大変参考になりました。彼は1953年エンカルナシオンに生まれ、現在アスンシオン市立交響楽団(OSCA)の専任指揮者として活躍し、また作曲家としても国際的な活動を展開し数々の叙勲を受けております。さらに音楽関係の著書も多くパラグアイの音楽界で重要な地位にある人です。
 更に音源や色々な資料をルシア塩満(アルパ奏者)、本田宏彦(歯科医・アルパ奏者)、故相澤幸男(中南米音楽愛好家)、Carlos R. Gonzlez(アルパ奏者・パラグアイ音楽研究家)など多くの方に提供頂きました。また来日中だったMariano Gonzlez(アルパ奏者)とCD 製作者Gustavo Adolfo Servnには特にグアラニー語の意味を教えていただきました。またルイス・アルベルト・デル・パラナ研究家Javier Delgado、昔の音源を提供してくれたAngel Antonio Gini Jara、その他多くの方々にご協力頂きました(敬称略)。また本書が曲りなりにも陽の目を見ることができたのは知玄舎の小堀英一社長のご協力があったからにほかなりません。この場を借りて皆様に厚くお礼申し上げます。           


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